広大な世界の三分の一を支配下におく超大国、神聖ブリタニア帝国。その首都に位置する宮殿の一角に、ナイトオブラウンズの集う特別ラウンジがあった。
帝国最強の騎士として激戦地へと赴き、戦況を一変させるほどの力を持つ彼らも、ここでは普段のくつろいだ表情を見せる事が多い。しかし、今はこのラウンジにどこか異様な緊張感が漂っていた。
「なあスザク・・・ちょっとやばいんじゃないかアレは・・・」
「・・・え？やばい、って何が？」
革張りのソファに座って、『月刊ねこのきもち』を一心に読みふけっていたスザクは不思議そうに顔を上げた。いつもなら勢いを付けてじゃれついてくるジノが、神妙な面持ちでスザクを覗き込んでいる。
「アレだよ、アレ」
ジノが顎の先で示した先には、最年少でナイトオブラウンズに任じられた、アーニャ・アールストレイムの姿があった。部屋の片隅にある小さな椅子に腰掛けて、手にした携帯をじっと見詰めている。滅多に感情を現す事のない彼女だが、今日は珍しく微笑みを浮かべていた。
「アーニャがどうかしたの？」
「あの笑顔はやばい」
スザクの隣に腰掛けて、ジノがきっぱりと断言した。
「あれは絶対、面白いブログのネタが見つかったっていう顔だ」
「へえ・・・よかったじゃないか、」
スザクは気のない様子で雑誌の続きをめくる。アーニャのブログより、未だ距離の縮まらないアーサーとのコミュニケーションの方がよっぽど重要な命題だ。
「ちっともよくないぞ、枢木スザク」
頭上から力強い女性の声が響いた。仰げばナイトオブナイン、ノネット・エニアグラムが仁王立ちでスザクを見下ろしている。
「おまえはこのナイトオブラウンズに入って日が浅いから、アーニャの真の恐ろしさを知らんのだ」
「・・・はあ」
スザクの返事にはいまいち実感がこもらない。向かいのソファでティーカップを傾けていたナイトオブトウェルブ、モニカ・クルシェフスキーが頬に手を当てて困ったように眉をひそめる。
「そうですね・・・アーニャったらいつの間にか色んな写真を撮ってるから・・・」
「俺は、女どもに揉みくちゃにされてる所を激写された事があるぜ」
ナイトオブテンのルキアーノ・ブランドリーが固めた髪を櫛でなでつけながら言った。嘆く風を装いながら、その目はちらちらとスザクの様子を伺っている。ルキアーノは何故かスザクをライバル視しているらしく、事につけて絡んでくる厄介な人物だ。
「何しろ美女が一斉に押し掛けてくるんだ、あの時はさすがの俺も参った」
「それはそうだろう。貴君が支払いを滞納した店のホステスが、総出でツケの取り立てにやってきたのだからな。これに懲りたら、きちんと支払いを済ます事だ」
生真面目な口調で言うと、ナイトオブフォー、ドロテア・エルンストがルキアーノを一瞥した。情けないネタをばらされて、ルキアーノが憮然とした表情で黙り込む。ナイトオブワンにも引けを取らないと言われる彼女に意見されては、ルキアーノとて反論できるはずもない。手元の雑誌を閉じて、スザクはドロテアに尋ねた。
「ドロテアさんは、アーニャに写真を撮られた事があるんですか？」
「いや・・・私は・・・」
「ああ、そういや編み物してる写真がブログに載ってたよな」
言い淀むドロテアの隣で、ノネットがあっさりと言い放つ。途端にドロテアの顔が真っ赤になった。
「なっ・・・ノネット！」
「いいじゃないの、編み物の写真ぐらい」
「私は戦いに生きると決めたのだ！それがあんな・・・戦士として失格だ！」
カラカラと大口を開けて笑うノネットに、ドロテアが握った拳をぶるぶると震わせる。年上の女傑に向かって、スザクは宥めるように微笑みを浮かべた。
「僕は素敵だと思いますよ。強くて家庭的な女性って、すごく憧れます」
「そ、そうか・・・？」
吊り上げた目元を弛めて、ドロテアが照れたように俯く。隣でジノが、やるなあスザク、と小声で耳打ちした。ノネットの影に隠れたルキアーノは、今にも噛みつかんばかりの顔でスザクを睨み付けている。
「お二人なんか、まだいいじゃありませんか。私は階段で転んだ所を撮られましたわ。スカートがめくれて本当にみっともないったら！」
写真を思い出したのか、モニカが恥ずかしそうに両手で顔を覆った。モニカのスカートには腿のきわどいところまでスリットが入っている。世の一般男性から言うと、『清楚な言動と相反する大胆な衣装がいい』という事らしい。
「私などベッドから半分落ちて、腹を出して寝てる所を写真に撮られたぞ。おかげでブログを見たコーネリア殿下からお小言をいただいた」
いつも鷹揚なノネットが難しい顔を作って言った。吹き出しそうになるのを堪えて、スザクは内心で笑いをかみ殺す。剛胆なノネットも、皇女にかかっては形無しだ。ティーカップの紅茶を一口すすって、モニカが溜息混じりに続ける。
「ビスマルクだって困ってると思いますわ。彼の写真もブログに載せられた事がありますし」
スザクは窓際のリクライニングチェアで新聞を読む男を見遣った。ビスマルク・ヴァルトシュタイン・・・ナイトオブラウンズの頂点にして皇帝の騎士、ナイトオブワンの称号を持つ屈強な隻眼の男だ。直接の関わりを持つ事は少ないが、この個性的なナイトオブラウンズをまとめるだけの力を持つ人物である。この距離であれば会話も聞こえているはずだが、ビスマルクは騒ぎをよそに我知らずといった顔で静かに新聞を捲っている。
「へえ・・・ビスマルクさんは、」
どんな写真を撮られたんですか、と無邪気に問い掛けようとして、スザクはギリギリでセリフを飲み込んだ。新聞から顔を上げたビスマルクの隻眼が尋常ではない光を放っている。場の空気は読めないスザクだが、殺気に対しては非常に敏感だった。世の中には触れてはいけない事もある、と思い直して正面に向き直る。
「・・・まあいいじゃないですか、そのぐらい。見ている方としても親しみやすいし、好感が持てますよ」
「おまえなあ、自分だって恥ずかしい写真載せられてるだろうが！」
人事のように爽やかな笑顔を浮かべるスザクを、ノネットが半眼で睨み付ける。隣に座るジノがスザクの肩を肘でつついた。
「そうだぞ、スザク。もう忘れたのかよ、あの時の事」
「え？」
「こないだアーニャがご機嫌だった日のブログ。おまえのシャワールームの隠し撮り写真！」
「うわわわわ、そうだった・・・っ！！！」
突然慌てだしたスザクを眺めながら、心底呆れた様子でジノが肩をすくめる。
「あの写真、もうちょっと下が写ってたら、おまえ公然わいせつ罪で捕まってる所だったもんなあ」
「違うよ、あれは室内プールの写真だってば！変な角度で写ってるから誤解されただけだよ！あの時だって、なんでだか知らないけど僕が倫理委員会に呼び出し受けるし・・・」
「このブリタニアではな、『実力』がすべて・・・つまり、可愛い子は何やったって正義なんだ。覚えておいた方がいいぞ、スザク」
何か苦い思い出でもあるのか、ジノが常にない憂い顔で遠くを見遣った。引きつるスザクを見下ろして、両腕を組んだノネットが重々しい口調で告げる。
「とにかく、だ。確実なのは、あれはアーニャがロクでもない記事を書く前触れに違いないって事だ」
スザクを囲んだラウンズの面々が一斉に頷く。ノネットはちらりとアーニャを盗み見ると、突然スザクの鼻先に人差し指を突き付けた。
「そこでだ・・・おい、新入り。おまえが行ってアーニャが何を書いてるか確かめてこい」
「ええっ、自分ですか？」
「そうだ。今あいつの機嫌を損ねれば、それこそ何を書かれるかわからん」
「ちょっ・・・そんな僕だって・・・！」
「おーや、先輩の言う事が聞けないのかい？」
有無を言わさぬ口調で凄むノネットに対して、最後の抵抗とばかりにスザクが食い下がる。
「ナイトオブラウンズは実力主義だから年功序列はないって、騎士を拝命した時にビスマルクさんが・・・」
「うわあ勇気あるな、スザク！このナイトオブラウンズで姐御に逆らうなんて！」
「さらば枢木スザク、私は君の勇姿を忘れない」
「スザクさん、短いお付き合いでしたね」
「おまえの大事なものはなんだ・・・そうだ、命だぁ！命が惜しくないのかぁ！？」
ノネットの脇から各人各様の別れの言葉が響く。一様に人の悪い笑みを浮かべる同僚たちを前に、完敗とばかりにスザクは頭を垂れた。
「・・・わかりました、ちょっとアーニャに聞いてみます」
まるで気が進まない様子でスザクが立ち上がった。アーニャは相変わらず一心に携帯をいじっている。傍らで昼寝をしていたアーサーが小さく欠伸をして再び眠りについた。
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