|
病 葉 ( わ く ら ば )
|
日本国首相、枢木ゲンブは不機嫌そうな表情を隠そうともせず、荒々しく足を踏み鳴らして叫んだ。
「スザクはどこだ!」
長い廊下に怒声が響く。しかし、スザクはもちろん、使用人すら現れる気配はない。眉間の皺をさらに深め、ゲンブはひとり、息子の姿を探した。枢木家では朝食前に身支度を整え、一家の長に挨拶を行うという習慣がある。しかし、あろうことか今日はスザクの姿が見えなかった。おそらく部屋で寝過ごしているに違いない。
「全くだらしのない・・・」
夏休みに入り、学校がないからといって、怠け癖を許すわけにはいかない。スザクは一人息子で、この枢木家の跡取りなのだ。枢木家には日本の国民を導く義務がある――――ゲンブには自分達が選ばれた人間であるという自負があった。
枢木家の起源は古く、この列島が『日本国』と呼ばれる前まで遡る。皇家の『神託』を下々へ伝え、京都六家と共に古来から国を束ねてきた。その血筋は尊く、何者にも変えがたい。ゲンブには、スザクを枢木家の跡取りとして相応しい人間に育て上げる義務があった。首相となった自分のように、ゆくゆくはスザクも国の中心に立つ人物になってほしい・・・いや、そうならねばならない。そのためには学ぶべき事が山ほどある。そこらの子供のように、遊んでいる暇などありはしない。酷なようでも、それがスザクの為なのだ。
ゲンブはそこで足を留めて、ふと顔をしかめた。昨日、庭先で聞こえてきた笑い声は、スザクとブリタニアの皇子のものだったのではないか。憎い敵国の皇子と首相の息子が仲良くしているなど、マスコミなどに知られたら何を言われるか・・・スザクにはあの兄妹と関わらないよう、きつく言ってきかせねばなるまい。
ゲンブは顔を上げると、再び息子の姿を求めた。辺りを見回せば、突き当たりの部屋に
『Suzaku Kururugi』 と書かれた札が掛かっている。ブリタニア語で書かれているのは、あの皇子の影響だろうか。ゲンブは札を睨みつけると、戸の正面に立って大声で叫んだ。
「スザク、いるのか!?入るぞ!」
戸を開けて勢いよく踏み込むと、部屋の中は暗く静まり返っていた。廊下から差し込む光を頼りに目を凝らすと、部屋の隅に丸まった人影が見える。スザクは夏用の肌掛けを頭から被り、身を縮ませて眠っていた。やはり思った通りだ・・・ゲンブは眉を吊り上げて、思いきり息子を怒鳴りつけた。
「いつまで寝ているんだ!?早く起きんか、スザク!」
すると、光を避けるように向けられた背中が小さく震えた。肌掛けの内側からくぐもった声が届く。
「・・・いいんだ・・・もう・・・」
「何がいいんだ?!午前中は道場で修練があるだろう、早く仕度しろ!」
寝起きのだれた返事に苛立ち、ゲンブが声を荒げる。いつもなら一喝すれば跳び起きるはずの息子が、今日は起き出す気配もない。しばらく家を開けているうちに、使用人たちが甘やかしていたようだ。怒りに唇を震わせるゲンブに、相変わらず背を向けたままスザクが答える。
「・・・道場・・・ないんだ・・・」
「今日は休みなのか?だからといって、いつまでも寝ているんじゃない!そういう時は自分で練習を積むものなんだ、学校の宿題だってあるだろう!?」
「・・・学校も・・・もう・・・ない・・・」
「馬鹿者、そんな風に怠けていてどうする!おまえには枢木家の跡取りとして、学ぶ事がたくさんあるんだぞ!?」
埒の開かない問答に苛立ち、スザクの元へ歩み寄ると、ゲンブは肌掛けに手を掛けた。勢いよくそれを引きはがすと、丸まった背がやっと起き上がる。見慣れた癖のある髪が揺れ、深翠色の大きな瞳がゲンブを見上げた。しかし――――
「・・・スザク・・・?」
身を起こしたその影は、ゲンブの息子ではなかった。顔を覗かせたのは高校生ぐらいの少年で、呆気に取られているゲンブの顔を落ち着いた様子で眺めている。
「きみは、」
少年はじっとゲンブの目を見詰めると、低く掠れた声で呟いた。
「道場も、学校も、全部燃えてしまった」
「・・・何だと?」
「村は空爆で壊滅したんだ。山奥にあった枢木神社だけが、かろうじて残ったけど。参道も崩れていたから、山を下りるのに苦労したよ。空は戦闘機が飛び回っているし、見つかったら機銃掃射でおしまいだっただろうね・・・」
呆気に取られるゲンブを前に、少年は滔々と話し続けている。淡々とした様子に気味の悪さを覚えつつ、ゲンブは少年の話を遮って強い語調で問い掛けた。
「おい、一体何を言っている!おまえは誰だ・・・何故ここにいる?!」
「・・・あなたこそ」
少年は困ったように溜息をついて、軽く首を傾げた。
「父さんこそ、なんでここにいるの?ここにはもう、枢木家も、日本も、どこにもないんだよ?」
「そんな、こと・・・」
ゲンブは無意識に後ずさった。しかし、足に力が入らず、よろけてしまう。焼けるような熱さを感じて腹に手をやると、じわりと何かが染み出した。ああそうだ、そうだった、私は、私は、スザクに――――
「ここには、もう、僕しかいない。だから、父さんが、帰ってくる必要なんて、ないんだ」
一言ずつ区切りながら、まるで自分自身に言い聞かせるようにスザクは言った。ゲンブは力なく首を振ると、ふらつく足を踏み出して息子へと手を伸ばす。
「・・・どうして・・・」
「父さんはもう、この世界に必要ない」
「・・・何故なんだ、スザク・・・」
「平和のために、父さんは死ぬべきだった」
「私は・・・おまえのために・・・」
踏み出そうとした足が崩れて、ゲンブは床に膝をついた。伸ばした手がスザクの目前で力を失って落ちる。腹に刺さったままの短刀を片手で押さえて、ゲンブは呻いた。
「スザク・・・!」
目の前が急激に暗くなっていく。狭まる視界に映し出されたのは、今にも泣きだしそうな息子の姿だった。馬鹿者、枢木家の男ならそんな情けない顔をするんじゃない・・・そう叱ってやりたかったが、父の声は届かず、ゲンブは再び暗闇の底に沈んでいった。
* * *
・・・夢だ。全ては自分の思い描いた幻。恨みを抱きこそすれ、父が自分に手を差し伸べるなど、あるはずがない。生前も、一度だって、そんな事はなかった。
スザクは大学寮の隅にある、自分にあてがわれた部屋のカーテンを開けた。途端、飛び込んでくる強い夏の日差しに目をすがめる。今はちょうどお盆の時期だ。この時期には死者の魂が家族の元に帰ってくるという。今はそんなイレブンの風習は禁じられているけれど。
皮肉なことに、今週はブリタニアがエリア11を平定した戦勝記念週間として、租界のあちこちで祭りが行われていた。今日も午後からパレードがあるので、スザクも警備の為に参加しなければならない。スケジュールを思い起こす一方で、スザクは公園の片隅に立てられた父の碑を思った。ブリタニアとの徹底抗戦を唱えていた父は、『最後の侍』としてそこに奉られている。
・・・やはり父は、あの時、死ななければならなかった。あのまま抗戦していたら、戦争の犠牲者は今を遙かに上回っていただろう。父の死があるからこそ、今の『平和』が訪れたのだ。そして自分はこの『平和』を守るために軍人になった。父の死を無駄にしないために。父に安心して眠ってもらうために。だから僕は、だから俺は――――
スザクは一人、短く黙祷を捧げると時計を気にしながら部屋を後にした。
|
08-08-25/thorn
|
|
|
|
|
|