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キンコン、と授業の終わりを告げる鐘が鳴って、教室内がにわかに活気づいた。教師が宿題を念押しする声が消えると、喧噪は一層大きくなる。それもそのはずで、これから学生にとって学校生活の楽しみの一つであるランチタイムの時間なのだ。
(今日は、どうしようかしら・・・)
机の上の教科書を手探りで整えながら、ナナリーは少しだけ考え込んだ。いつも昼時に迎えに来てくれる咲世子も、今日は休暇を取っている。通常の授業であれば独りでも問題ないのだが、食事はやはり誰かの手を借りる事が多いので、普段ナナリーはクラブハウスに戻って咲世子と昼食を取っていた。彼女が休みの時には兄のルルーシュが迎えに来てくれるのが常であるが、今日は緊急の用事が入ったとかで朝からどこかへ出掛けている。昼には戻るから、と言う兄の申し出をナナリーはやんわりと断った。急ぎの用事だというのにわざわざ呼び戻すのは申し訳ないし、別に独りで食事が取れないというわけではないのだ。それにしても、とナナリーは思う。
(お兄様はいつもどこへ出掛けていくのかしら・・・咲世子さんも最近は用事があるって、よくお休みするし・・・)
数ヶ月前から、ルルーシュはよく学校を抜け出して外出するようになった。夜も遅くまで戻らない事が多い。以前はむしろ家に籠もりがちであったというのに大した変化だ。何をしているのか気になってはいるが、尋ねても「大丈夫」の一点張りだし、ナナリーにはそれ以上問いただす事もできなかった。
(ただでさえ私はお兄様に負担を掛けているんだし・・・邪魔をしてはいけないわ)
やはりクラブハウスに戻って食べようと、電動車椅子のレバーを引いた時、控えめな声がナナリーを呼び止めた。
「あの、ナナリーさん・・・今日はお迎えに来る方はいらっしゃらないの?」
「ええ」
少し緊張したようなクラスメイトの他に、数人の囁き声が聞こえる。何事かと首を傾げるナナリーに、先ほどの少女が続けた。
「じゃあ・・・もしよかったら、私達と一緒にお昼にしない?」
「・・・ええ、喜んで!」
ナナリーの弾んだ声音に、少女達の間にほっとしたような空気が流れる。
「よかったあ・・・じゃあ今、準備するね」
ガタガタと椅子や机を移動させる音が聞こえて、少女達はナナリーの周りに陣取った。教室で友達とお昼を食べるのなんて初めてかもしれない。
(食べこぼしたりして、みんなに嫌な思いをさせないようにしなくちゃ・・・)
ナナリーは荷物を探って、兄に持たされたランチボックスのふたを開けた。そっと手を伸ばすと、指先に柔らかなパンが触れる。兄の気遣いで、独りでも食べやすいように小さなサンドイッチが詰められているようだった。
「わあ、ナナリーさんのサンドイッチ、すっごく美味しそう!」
「本当ね、どこのお店の物なの?」
「いいえ、これはお兄様が作って下さったんです」
「ええっ、ルルーシュ先輩が!?」
「うちではお兄様がよくご飯を作ってくださるんです。お兄様はとっても料理が上手なんですよ」
一様に驚きの声を上げるクラスメイトに、どこか誇らしげな気持ちでナナリーが微笑む。手に持ったサンドイッチを一口囓れば、自家製のミートローフの味が口の中に広がった。ソースはもちろんオリジナルのものだ。兄の料理はどんな時でも全く手抜きがない。
「ルルーシュ先輩、すごいんだ・・・」
「料理とか、あんまりするように見えないのに・・・なんか意外だね」
使用人に任せてるイメージがあるんだけど、と少女の一人が言う。うんうん、と周囲から賛同の声があがった。
「お兄様はお料理だけじゃなくて、お掃除もお洗濯もきちんとご自分でするんですよ」
「ええっ、そうなの!?」
学業もあるから咲世子の助けも借りるが、ルルーシュは基本的に自分の事は自分でこなす。他人に任せきりにすることをよしとしないのだ。日本に送られ、誰が敵とも知れない中でずっと暮らしてきたせいもある。ナナリーの世話を他人に任せる事にも最初は随分渋っていた・・・咲世子の明るくて甲斐甲斐しい性格に、今はもうすっかり心を許しているようであるが。
「はあ・・・いいなあ、ナナリーさん」
「先輩の手料理が食べられるなんて夢みたいだよね」
「・・・みんなの憧れなんだよ、ルルーシュ先輩って。こっそりファンクラブだってあるんだから」
くすくす笑いながら隣の少女がナナリーに耳打ちした。自慢の兄が褒められている事もあって、ナナリーは何だかくすぐったいような気持ちになる。二つ目のサンドイッチに口を付けると、一つ目とはまた具材が違う。今度はナナリーの好きなエビの入ったサンドイッチだ。お手製のマヨネーズソースがエビの甘さを引き立てていて、とても美味しい。
「でもルルーシュ先輩みたいに完璧なお兄さんがいるって・・・ちょっと大変だよね」
正面に座っているらしい少女がため息をついた。そうだよねえ、と他の少女達も口々に同意する。
「何故ですか?」
「あんなに格好良くて、完璧なお兄さんがいたら、普通の男子なんて・・・」
かすんで見えちゃうよねえ、と一同が仲良く口を揃えた。
「好きな人とか、出来なくなっちゃいそうじゃない?」
「いえ、そんな事はありませんけど・・・」
思わず呟いたナナリーに、少女達が一斉に色めき立つ。
「ええっ、ナナリーさん、ひょっとして好きな人、いるの!?」
「嘘っ、教えて〜!」
「誰だれ、このクラス?!他のクラス!?それとも高等部!?」
「どんな人なの?」
ガタンと音がして、みんなが身を乗り出したのがわかった。あまりの勢いに思わずナナリーは首をすくめる。女の子は恋愛話に敏感だ。逃れられそうにない雰囲気に、ナナリーは口籠もる。
「・・・ええと、その・・・」
好きな人、と言われて、ナナリーの脳裏にスザクの名が浮かんだ。ナナリーはスザクの顔を知らない。出会った時にはもう、光は失われていたからだ。ただ知っているのは、ナナリーを背負ってくれた背中と温かい手の平だけ。再会したときも、その手の温もりは七年前となんら変わっていなかった。
「好きな人、というのかよくわかりませんけれど・・・ずっと大切に想っていた人は、います」
自分の名を呼ぶスザクの声を思い浮かべて、ナナリーはうっすらと微笑む。男の人にしてはハイトーンの、快活に弾む声音。昔とは変わったけれど、スザクの声は再びナナリーの心を明るく照らしてくれた。
「ひょっとしてナナリーさん、その人とお付き合いしてるとか・・・」
恐る恐る聞いた隣の少女に、ナナリーは小さく笑って首を振る。
「いえ・・・その人は最近、別の方と上手くいっちゃった、みたいなんです」
「ええーっ、うっそぉ〜!」
「ずっと好きだったんでしょう?」
「すっごいショックじゃない!」
息を殺してナナリーの話を聞いていた少女達が悲鳴のような声を上げた。
「ナナリーさん、可哀想・・・」
「いいえ、そんな事ありませんわ」
同情の目線が向けられている事を感じて、ナナリーは静かに否定の言葉を口にする。
「そのお相手の方も、私の大切な人なんです・・・だから、ちょっとだけ寂しいけど・・・二人とも大好きだから・・・」
お二人が幸せになってくれたら嬉しいんです、と言ってナナリーはにっこりと笑った。
二人を祝福する気持ちに嘘偽りはなかった。学園祭の時、嬉しそうなユーフェミアにそれを告げられた時は胸が痛んだが、考えてみれば二人は騎士と姫君という関係で、これは自然な流れなのだと思う。ユーフェミアのように明るくて優しくて、そして健康な人に惹かれるのは当たり前の事なのだ。そもそも、スザクが自分なんかに振り向いてくれるはずもない。この目で見る事は叶わないが、並んで立てばきっとお似合いなのであろう。
「あの、みなさん・・・?」
ふと気がつけば、先ほどまで盛り上がっていた場はすっかり静まりかえっている。ナナリーは戸惑いがちに声を掛けた。何かおかしな事でも言ってしまったのだろうか。
「ナナリーさん・・・」
「はい?」
「・・・なんて健気なの!」
感極まったように叫んで、隣の少女がナナリーに軽く抱きついた。他の少女達も元気づけるようにナナリーの手を握る。
「大丈夫だよ、ナナリーさんにはすぐに素敵な人が見つかるんだから!」
「そうよ、絶対大丈夫!」
「私たちに任せておいて!」
「え、ええ・・・」
訳もわからず頷いたナナリーに、少女達は意味ありげに笑いながら何か囁き合っている。
「うふふ、ナナリーさんはすっごくモテるんだから大丈夫」
「今もこっちを窺ってる男子がいるしね」
「そうそう、さっきからずーっと・・・」
「な、なんだよっ、おまえら!こっち見るなよ!」
さほど遠くない所から、クラスメイトの少年が叫んだ。この声には聞き覚えがある。いつもナナリーが物を落としたりすると、すぐに拾ってくれる優しい男の子だ。
「あんたこそ、聞き耳立ててるんじゃないわよ」
「気になるんでしょ・・・ナナリーさんの好きな人!」
「バーカ、そんなわけないだろっ」
「そんな事言って・・・おまえ、いつもランペルージの話しかしないくせに」
違う少年のからかう声が響く。少女達が嬉しそうにはやし立てた。
「わあ、顔真っ赤じゃない〜」
「うるせえ、違うったら!」
「ふーんだ、いいわよ。こっちだって、ナナリーさんをあんたみたいのに絶対渡さないんだから!」
「な、なんだよそれ・・・!?」
急にうろたえたような少年の声に、周囲が一斉に吹き出した。ナナリーもつられて笑い声を上げる。何事かと他のクラスメイトも集まってきた。ナナリーを中心に人の輪が広がっていく。
「ねえ、ナナリーさん・・・私、ナナリーさんの事、先輩達みたいに、『ナナちゃん』って呼んでもいい?」
「ええ、もちろん!」
「あっずるーい、私も」
「よかったら、また一緒にご飯食べましょうよ」
「メイドさんもいらっしゃるけど、もし何か役に立てる事があれば、私たちにも手伝わせて」
「遠慮なんてしなくていいんだからね?」
頷きながら、ナナリーは雲の切れ間から陽が射すかのような感覚に胸を詰まらせる。
(世界は恐ろしいものだと、ずっと思っていたけれど・・・)
あの日・・・銃声と共に自分を襲ったのは、身を引き裂くような痛みと耐え難い恐怖だった。穴だらけになった母親の姿は、今でも思い出しただけで叫び出しそうになる。自ら暗闇の世界に閉じこもったナナリーに手を差し伸べてくれたのは、兄のルルーシュとスザクの二人きりだった・・・でも今は、違う。
(生徒会のみなさんや、咲世子さん、クラスのみなさんも・・・)
世界が少しずつ広がっていくのをナナリーは感じている。時と共に全てが変わっていくのだ。いいことばかりではないかもしれないけれど、それでも・・・再び信じる事ができるかもしれない。
(お兄様はもう会わないと言っていたけれど、またユフィお姉様に会いたいな)
今はちょっとつらいけれど、いつか好きな人の話も出来るかもしれない。
(・・・そんな話をしたら、お兄様はびっくりなさるでしょうね)
心配性の兄はきっと驚いて、あれこれ問い詰めてくるに違いない。スザクさんは色々と世話を焼きたがるだろう。ユフィお姉様はそんな二人を宥めて、ナナリーに素敵なアドバイスをしてくれるのだ・・・4人で囲むお茶の席を想像して、ナナリーは小さく笑った。世界は変わっていく、ほんの少しずつではあるけれど・・・いつか光の世界へと――――
遠くない未来、大好きな人達と一緒に笑い合える日が来る事を信じて、ナナリーはふわりと微笑んだ。
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08-02-05/thorn
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