T o m o r r o w




研究室の扉が軽い機械音と共にスライドし、女が姿を現した。
真っ白な白衣の下から、胸元が大きくあいたキャミソールと褐色の肌がのぞいている。
女はハイヒールの靴音を響かせて室内に踏みいると、一心に機器のモニターを見つめる男の傍らに佇む。
唇に皮肉げな笑みを浮かべて、女が告げた。
「『パーツ』が、壊れた」
男は何も聞こえていないかのようにモニターを見つめ、キーボードを叩いている。
男の正面で作業していた黒髪の女が腰を浮かし、何か言おうと口を開く。
それを目で制し、女は持っていた紙の束を無造作に放り出した。
びっしりと数値が印刷された紙が空に舞い、男の目の前に降りかかる。
「なぜ勝手に胸部装甲を変えたのかしら、ロイド・アスプルンド主任」
「なぜ?」
キーボードを埋めた紙を退けようともせず、満面の笑みを浮かべて、ゆっくりとロイドが振り向いた。
「あの装甲板、重くてねえ・・・機動性が落ちるだろう?」
「なるほど、それで軽量化して20%も強度を落としたってわけ」
女は笑みを深めて男を真っ直ぐに見つめた。その表情とは裏腹に、目は剣呑な光を放っている。
「おかげでブレードが装甲を貫通して、『パーツ』は両腕切断の瀕死状態・・・助かったとしても、もう使い物にならないね」
黒髪の女が悲鳴を飲み込むように口元を手で押さえ、表情を強張らせた。
それを一瞥した女が小さくセシル、と呟き、再び男に目線を戻す。
男はさして気に留めた様子もなく、笑顔で言葉を続けた。
「じゃあラクシャータ、君のお得意のサイバネティック技術で新しい腕を付けてあげればいいじゃない」
「ロイドさんっ・・・!」
セシルが激しい非難の声を上げて、椅子から立ち上がった。派手な音を立てて椅子が床に転がる。
ラクシャータはロイドを見下ろす瞳をきつく細めた。
「装甲強度が当初の設計通りであれば、ここまでには至らなかったはずよ」
「へえ、つまり僕のせいだと言いたいわけ?」
ロイドは目を伏せて笑うと、眼鏡を片手で外して立ち上がる。
「あの程度の攻撃、僕の機体の性能を生かせば十分に避けられた」
薄いブルーの瞳が冷たく輝き、ラクシャータの視線をまっすぐに跳ね返す。
「デヴァイサー自身の問題だ」
重い沈黙が降り、二人の科学者は正面から睨み合った。
凍りついたような室内の中で、機器の稼動音だけが静かに響く。
「わかった・・・それがあんたの考え方ってわけね」
呆れたように笑って、ラクシャータが肩をすくめた。
「これ以上、あんたに付き合っていられないわ。あたしは抜けさせてもらうよ」
「どーぞ、ご自由に」
ロイドは気の抜けるような声で答えると、椅子に腰を下ろし、再びモニターに向き直った。
「じゃあ元気でね、セシル」
ラクシャータは胸元のブリタニア軍徽章を外すと、傍らのデスクの上に放り投げた。
白衣を翻し、そのまま室内を出て行く。
さーよーなーらー、と間延びした声がその背中に投げられた。
我に返ったセシルが、慌ててその後を追う。

「待って、ラクシャータ・・・!」
エレベータに乗り込もうとするラクシャータを、走ってきたセシルが呼び止める。
「まさか、本当に・・・」
「もう飽き飽きなのよ、あいつと一緒にやるのも」
清々したと言わんばかりの面持ちで笑いながら、ラクシャータは言った。
「それに・・・ずっと忘れていた事があってね。やっと思い出したのさ」
怪訝そうな顔をするセシルに、真剣な表情でラクシャータが向き直った。
「セシル、あいつを・・・ロイドを頼む」
「・・・・・・ラクシャータ・・・」
「あいつが道を踏み外しそうになったら、あんたが引き戻してやるんだ・・・『こちら側』に」
言う事きかなきゃ一発ぶん殴ってやりな、と言い置いて、ラクシャータはエレベータの扉を閉める。
目の前で閉まる扉を見つめ、セシルはその場に立ち尽くした。





通過階を示す電光掲示板の数字が次々に変わるのを見つめながら、ラクシャータはエレベータの壁にもたれ掛かる。
ナイトメアフレームの初期開発時に、開発チームの皆でOS画面に刻んだ言葉が、ふと心の中に浮かんだ。

『Marching Ever Onward To Tomorrow』

ナイトメアフレームが、その技術が、人々の暮らしを変えると誰もが信じていた。
すべてが希望と意欲に溢れていた、あの時。
ランドスピナーの調整が初めて成功したときの科学者たちの笑い声が蘇る――――ロイドも、セシルも、皆が笑っていた。
ラクシャータは祈るように目を閉じる。

ブリタニアは変わった。
かつて汎用を目指して開発されたナイトメアフレームは、戦闘用兵器としての使用が主流となりつつある。
皇妃マリアンヌの死とアシュフォード家の没落が、それに拍車をかけた。
技術は、明日へ向かって進み続ける。
この流れは誰にも止める事ができない。
――――たとえ、それが多くの人々の命を奪うことになろうとも。

合成された無機質な人声が、エントランスに到着した事を告げる。
ラクシャータは目を上げると、エレベータの戸口に向かってゆっくりと歩き出した。



07-04-29/thorn