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s y m p a t h y [ sin-pathy ]
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茜色の夕日がアッシュフォード学園の校舎を鮮やかに照らしている。生徒会室に続く廊下を歩きながら、スザクは窓の外に広がる夕焼けに目を細めた。
(とても綺麗だ。だけど、)
――――あの日もそう、こんな夕焼けだった。
小さく首を振ると、スザクは沈みゆく太陽から目を背けた。生徒会室の前で立ち止まると、上部に据えられたセンサーが反応して自動的に扉がスライドする。
(生徒会のみんなに会うのはあれ以来だ)
複雑な想いを胸に部屋を見渡すと、床にしゃがみ込んでいる少女の背中が見えた。アーサーと戯れる後ろ姿に、スザクは思わず大声で呼びかける。
「シャーリー!」
ふいの呼び掛けに、シャーリーが驚いたように振り向いた。スザクの姿を認めると、その顔にぱっと明るい笑みが浮かぶ。
「スザクくん!久しぶりだね」
「今日は生徒会だけでも顔を出せたらと思って」
彼女らしい生き生きした声音に安堵しつつ、スザクは室内に足を踏み入れた。アーサーを覗き込むように腰を屈めると、隣で猫じゃらしを振る横顔をそっと伺う。
「家の方は、もう大丈夫なの?」
「うん!お母さんもだいぶ落ち着いたし、学校には普通に来てるんだ」
心配そうに尋ねるスザクに、シャーリーが顔を上げて答えた。
「そうなんだ・・・良かった」
ほっとした表情のスザクに、シャーリーが笑顔で頷く。軽く息を吐き出すと、スザクは膝を押して立ち上がった。
「そうそう、冷蔵庫の中に頂き物のアイスティーが入ってるの。会長が自由に飲んでいいって」
手にした猫じゃらしでシャーリーが冷蔵庫を指し示す。
「本当?じゃあ、いただこうかな」
小さく頷いて、スザクは部屋の隅にある冷蔵庫に足を向けた。小型の冷蔵庫を開けると、アイスティーのボトルが並んでいる。常備されているグラスに琥珀色の液体を注いで、スザクは応接用のソファに腰を下ろした。アーサーを抱き上げたシャーリーが、低いテーブルを挟んで向かい側に座る。
(なぜだろう、とても喉が乾く)
手にしたグラスを口元に寄せると、今度はシャーリーが心配そうにスザクの顔を覗き込んだ。
「スザクくん、最近は全然学校に来てないよね。仕事、忙しいの?」
「ああ、うん。まあね」
アイスティーを口に含むと、アールグレイの独特な香りが広がる。スザクの曖昧な答えにシャーリーがふと眉を寄せた。
「・・・それ、ナリタでの事件のせいだよね」
「そう、だね」
低い声音で返された答えに子猫の背を撫でる手が止まる。膝の上で大人しく丸まっていたアーサーが、シャーリーの顔を不思議そうに見上げた。俯いたシャーリーから目を逸らして、スザクはアイスティーの入ったグラスを見つめる。ナリタでの犠牲者の遺族である彼女に対して、軍人である自分は何と言葉を掛ければいいのだろうか。一般人である彼らを守ることが出来なかったのは、自分たちの力不足に他ならない。止まった会話の中、スザクは内心で己の無力さを噛み締める。窓から差し込む西日の熱を受けて、グラスの表面にじわりと水滴が浮かび上がった。
「・・・あのね、お父さんの葬儀の時は・・・ありがとう」
「え?」
短い沈黙を破って、ふいにシャーリーが口を開いた。唐突に投げられた感謝の言葉に、スザクは困惑して首を傾げる。
「怒ってくれたでしょう、あの時。私とお母さんの代わりに・・・」
「いや、本当は謝らなきゃいけないんだ。シャーリーの気持ちも考えないで、あんな時に・・・ごめんね」
「そんな、スザクくんが謝ることなんてないよ!」
びっくりしたようにシャーリーが両手を振る。薄い笑みを浮かべると、スザクはそっと目を伏せた。
(シャーリーのためだけじゃない、)
(どうしても許せないんだ、僕は)
己の正義を振りかざし、人を傷つける黒の騎士団・・・日本人として求める理想は同じであっても、法に従い、中から平和的な変革を望むスザクにとって彼らは許しがたい存在だった。特にゼロのやり方は――――
「私、もっと怒ればよかったのかな」
独り言のように、ぽつりとシャーリーが呟いた。自分の考えに沈んでいたスザクは、我に返って力強く頷く。
「当然だよ、君にはその権利がある」
「あっ、ううん違うの!黒の騎士団じゃなくて・・・お父さんに」
「そんな、そもそもあいつらが・・・」
険しい表情のスザクに、シャーリーがふわりと微笑んだ。その穏やか表情に、スザクは勢いで言いかけた言葉を飲み下す。
「うちのお父さんね、一緒に出掛ける約束しても、いつもダメになっちゃうの。仕事が入ったからゴメン、また今度って・・・それじゃしょうがないって、ずっと笑って許してあげてたんだ」
窓の外に広がる夕焼けを遠く眺めながら、いつもと変わらない調子でシャーリーが言った。
「そうするとね、私のご機嫌取る為に色んなプレゼントが送られてくるの。普通じゃ手に入らないコンサートのチケットとか、流行のバッグとか、話題の本とか・・・お父さん、それで埋め合わせしてるつもりだったんだと思う。でも私、本当はそんな物、いらなかった」
西向きの窓から差し込む光が、生徒会室の中までも朱に染め上げていく。途切れた言葉と共に、夕日に照らされた横顔が微かに歪んだ。
「どんな素敵なプレゼントより、お父さんがいてくれれば・・・それだけで良かったのに。だから本当はもっと怒ればよかったんだよね。プレゼントなんていらないから、私と一緒にいてよって・・・生きてるうちに、ちゃんと伝えれば良かった。そうしたら、もっと家族で色んな思い出が作れたのかもしれない」
「シャーリー、」
「そういう事に今頃気が付いたの。もう二度と伝えられないのに・・・遅すぎるよね、ホント」
いたたまれずに呼び掛けたスザクに、シャーリーが泣き笑いの表情を浮かべる。グラスの表面についた水滴が流れて、テーブルクロスに小さな染みが滲んだ。
(ほら、こんな風に泣く人がいる)
シャーリーの悲痛な想いに、スザクは膝に置いた手を固く握り締める。
(だから間違ってるというんだ、あいつの、ゼロのやり方は)
静まり返った室内に、校庭で部活動にいそしむ生徒たちの声が聞こえてくる。気丈に笑うシャーリーを見据えて、スザクは低く問い掛けた。
「シャーリーはあいつを・・・ゼロを憎いとは思わないの?」
「・・・わからない」
指先で子猫の喉をくすぐりながら、シャーリーが戸惑うように目線を落とす。
「確かに、お父さんが死んだのはゼロのせいだけど・・・憎いとか、仇だとか、そういう気持ちが何だか怖いの。一端そう思ってしまったら、止まらなくなりそうで・・・それに、もしあの人の言う事が本当だったら、ゼロは・・・」
「あの人?」
「ううん、別に何でもないの。気にしないで!」
「でも、今きみ、ゼロの事、」
スザクが身を乗り出した瞬間、流行のポップスを模した着信音が室内に鳴り響いた。少女の膝で子猫が弾かれたように身を震わせる。アーサーを脇に下ろしてポケットを探ると、シャーリーが慌てて席を立った。
「ちょっとゴメンね・・・もしもし?」
携帯を手に窓辺に向かうシャーリーを横目に、スザクはテーブルの上のグラスを手に取った。アイスティーはもうすっかりぬるくなっている。
(でも、やっぱり許せないんだ僕は)
残りを一気に飲み干して、スザクは空のグラスをテーブルに戻した。磨かれた硝子の表面には怒りに歪んだ自分の顔がうっすらと映し出されている。
(身勝手な自分だけの正義で人を殺すなんて)
(絶対に、許しちゃいけないんだ)
「スザクくん、」
短い通話を終え、携帯を切ったシャーリーがソファに座るスザクを振り返った。
「ちょっと急ぎの用事が出来ちゃった。みんなが来たら、今日は生徒会の仕事をお休みするって伝言してくれるかな?」
「うん、いいよ」
「よろしくね!」
すっかりいつもの調子を取り戻して、シャーリーが軽やかな足取りで戸口へ向かう。ふと、その足が扉の前で止まった。スカートを翻して勢いよく振り返ると、シャーリーはスザクに向かってぺこりと頭を下げる。
「久しぶりに会ったのに、今日は色々つまんない話をしちゃったね。聞いてくれてありがとう!」
「いや、僕はなにもしてないよ」
「ううん、話しただけで少し楽になったから」
はにかんだ表情を見せて、シャーリーがおずおずと切り出した。
「聞いたんだけど・・・スザクくんも小さい頃、お父さんを亡くされたって・・・だから何となくこういう気持ちとか、わかってもらえるかもしれない、なんて思っちゃったの。なんか私ったら、スザクくんには相談に乗ってもらってばかりだね。ルルの事とか・・・ホントにいつもありがとね!」
スザクの反応を待たずに、シャーリーは颯爽と踵を返す。栗色の真っ直ぐなロングヘアがさらりと宙に広がった。
「じゃあ、またね。今度は教室で!」
手を振って扉の向こうに消えたシャーリーに、ふにゃあ、とアーサーが名残惜しそうな鳴き声を上げる。元気のよい彼女が去って、生徒会室が急にがらんと広くなったようだった。シャーリーの言葉を胸の内で繰り返しながら、スザクはソファに背を預けて天井を見上げる。 「父さんがいてくれれば、それでよかった・・・なんて、」
足元に擦り寄るアーサーにも気付かず、天を仰いだままスザクは虚ろに呟いた。
(僕にわかるはずがない)
(だって、父さんは)
夕日が窓から室内を照らして、部屋を真っ赤に染め上げる。
(僕が、この手で、殺したんだから)
彼方に沈みゆく光がスザクの影を長く、細く映し出す――――あの日もそう、こんな夕焼けだった。
(僕のしたことは正しかった)
(でも結局たくさんの血が流れて)
(たくさんの人が悲しんで)
(じゃあ僕がしたことは一体何だったんだろうか)
徐々に薄暗くなっていく部屋の中で、スザクは一人、呆けたようにソファに座り込んでいた。我に返って窓の外を見れば、既に日は沈んで残照が地平近くを赤く彩っている。そろそろ明かりをつけようと考えた時、空気の抜けるような音がして、スザクの背後にある扉が開いた。続けて電灯のスイッチが入れられ、部屋が煌々と照らされる。かつかつと規則的な靴音が間近で止まると同時に、スザクの頭上から聞き慣れた声が降ってきた。
「なんだ、いたのかスザク。暗くなってきたんだから、明かりぐらい付けろよ。ひょっとして、ここで寝てたのか?」
「ルルーシュ・・・いや、ちょっとボーっとしてただけ」
「本当か?」
あきれたような声音に、スザクが苦笑しつつ身を起こす。どこか疲れた表情のスザクを見て、ルルーシュがあからさまに顔をしかめた。
「仕事の方は、まだ落ち着かないのか」
「うん。ナリタの犠牲者・・・身元確認がまだ全部済んでないんだ」
「・・・そう、か」
ナリタという響きに、一瞬だけルルーシュの頬が引きつるのが見えた。子供の頃からの付き合いで、冷静さを装いながらも、彼がこの事件に心を痛めている事がわかる。仲のいいシャーリーの父親が事件に巻き込まれたのだ・・・同様にショックを受けるのも無理はない。すぐにいつものポーカーフェイスを取り戻すと、ルルーシュはソファの脇を通り過ぎて、書類が積み上げられている作業机に向かった。無造作に重ねられた紙の束に溜息をつくと、傍らにカバンを置いて書類を整え始める。さっきまで部屋を浸食していた黄昏の影は消え、蛍光灯の白々とした光が彼の姿を照らし出していた。
「ねえ、ゼロはさ、どう思ってるんだろうね」
その背中を眺めながら、スザクは何気なく浮かんだ問いを投げかける。
「自分が正しいと思って起こした事で、大勢の関係のない人が死んだり、悲しんだりしている事・・・ゼロは一体どう思っているんだろうね」
「さあな、」
後ろを振り向く事なく、紙の束を揃えながらルルーシュが答えた。
「そんなことはわからないよ、俺はゼロじゃないからな」
「・・・そうだよね」
当たり前の答えに頷いて、スザクはテーブルの上にある、乾いたグラスに目を留める。
(ゼロだったら、)
(僕の気持ちをわかってくれるだろうか)
頭に浮かんだ考えを振り払って、スザクは勢いをつけてソファから立ち上がった。小型の冷蔵庫を開けて並んだボトルの一つを手に取ると、テーブルに戻ってグラスに注ぐ。波立つ液体の表面を見つめながら、スザクは思った。『正義の行い』の下で消えていく人々の事など、きっとゼロは考えた事もないに違いない。だからこそ悲劇は繰り返す・・・気がついた後ではもう遅いのだ。
(だからこそ僕が、彼を止めなくては)
自分のグラスを満たすと、スザクは書類の整理を続けるルルーシュにボトルを掲げてみせた。
「ルルーシュ、少し休憩して飲み物はどう?」
「ああ、もらおうかな」
紙をめくる手を止めて、ルルーシュがゆっくりとスザクを振り返る。
「・・・なんだか喉が渇くからな」
スザクは二つ目のグラスをテーブルに据え、こぼさないように慎重にアイスティーを注ぐ。だから、痛みを堪えるようなルルーシュの表情に、最後まで気付く事はなかった。
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09-03-29/thorn
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