サ　プ　ラ　イ　ズ

カタカタと窓を揺らす木枯らしが冬の到来を告げる、晩秋の夕暮れ。クラブハウスの自室で、ルルーシュは一人、ノートパソコンを前に机に向かっていた。
いつも我が物顔でベッドを占有する魔女の姿も、今はない。
久々に訪れる、自分だけの静かなひととき――――ルルーシュはそっと目を伏せて、風の音に耳を澄ました。
気まぐれな魔女の邪魔が入らない今こそ、溜まっている雑事や考え事をまとめて処理する良い機会だ・・・そう自分に言い聞かせるものの、キーボードに添えた指は意思に反して動こうとしない。
（ ここしばらく黒の騎士団の活動は停止している。各地のレジスタンス組織も統制済みだ。一時的なものとはいえ、今は『平穏な日々』と言ってもいい ）
紫紺の瞳がパソコンの画面から流れて、机上に置かれた小さなカレンダーに注がれた。端正な横顔に憂いの表情が浮かぶ。
（ それなのに、あいつときたら ）
その時、階下の玄関から来客を告げるベルの音が響いた。続けて聞こえてきたのは、明るい談笑の声。ぼんやりと頬杖をついていたルルーシュはハッとしたように身を起こす。耳に届く馴染みのある声、一人はこの家を取り仕切る家政婦の咲世子で、そしてもう一人は――――考える間もなく、部屋のドアがコツコツと控えめにノックされた。
「ルルーシュ、いる？僕だけど、入ってもいいかな？」
久しぶりに耳にする『親友』の声に、椅子から腰を上げつつルルーシュが答える。
「スザクか！ああ、ちょっと待ってくれ」
ノートパソコンにロックを掛けつつ、ルルーシュははやる気持ちを抑えて室内を見回した。C.C.はちょうど外出しているから安心だが、勘のいいスザクに黒の騎士団やゼロに繋がるような物を見つけられては堪らない。
「うん、わかった」
扉の向こうからはひどく素直な返答が返ってきた。どうやら開けてくれるのを大人しく待っているようだ。
「フン、やればできるじゃないか」
手早く部屋の確認を終えると、ルルーシュは上機嫌で戸口へ向かう。以前は突然部屋に踏み込まれて、危うくC.C.の存在を知られる所だった。その後、スザクには人の断りなしに部屋に入らないよう、事あるごとに説教したのだが、その甲斐があったというものだ。
扉の前で一度立ち止まると、ルルーシュは緩んだ口元を改めた。軽く咳払いして、涼しい顔で親友を招き入れる。
「久しぶりだな、スザク。今日は一体どうした・・・って、ふわあああっ！？」
扉を開けた瞬間、ルルーシュの頭上を巨大な黒い影が覆った。そのまま襲い掛かってきた『何か』を両手で受け止めて、ルルーシュは床に尻もちをつく。
「な、な、何だこれは・・・っ！？」
覆い被さってきた物を見ると、それは特大サイズのテディベアだった。大人が抱えるのがやっとの大きさで、首元には真っ赤なリボンが結ばれている。ぬいぐるみを抱えたまま床にへたり込んでいると、その向こうから見慣れた癖毛の髪がひょっこり現れた。
「ぶっ、あははは！ルルーシュ、びっくりした？」
「スザク・・・おまえ！」
みっともなく腰を抜かしたルルーシュに、スザクが笑いながら手を差し伸べる。目の前に差し出された手を払って、ルルーシュが眦を吊り上げた。
「これは一体なんだ！？」
「何って、プレゼント」
「誰にだっ！」
「誰って・・・君に決まってるだろ？」
わめき立てるルルーシュを見下ろして、スザクがテディベアの背を叩く。
「いるか、こんな物っ！」
「あれ、喜んでくれると思ったんだけどなあ」
蒸気を吹き出さんばかりのルルーシュに向かって、スザクが無邪気に首を傾げてみせた。
「だって君、可愛いぬいぐるみとか好きなんだろう？ほら、あれだって・・・」
スザクが指差した先に並んでいるのは『チーズくん』のぬいぐるみ・・・大中小の各サイズがベッドの上に整然と並べられている。もちろん居候中の魔女が、知らないうちに集めた物である。触ろうとするとひどく怒るので、いつものようにそのままにしておいたのがいけなかった。
「あ、あれはだな・・・」
「いいよ、隠さなくても。別に恥ずかしいことなんてないと思うけど」
思わず口ごもるルルーシュに、スザクが爽やかな笑顔を向ける。
（ くっ、C.C.の奴、覚えてろよ・・・！ ）
心の中で悪態をつきながら、差し出された手を取ってルルーシュが立ち上がる。スザクはぬいぐるみをひょいと担ぎ上げると、ルルーシュの脇を通り抜けて室内へ足を踏み入れた。『チーズくん』に加えてベッドにテディベアを据えると、満足そうに何度も頷く。
「これでよし、と」
「何が『よし』、だ。どうしたんだこれは」
「アーケードの福引きで当てたんだ。これが欲しくてさ」
「何を言ってるんだ、おまえは？おまえが欲しくて当てたものを、俺に押しつけてどうする」
弾むような言葉に、ルルーシュが形のいい眉を寄せた。不審げな表情の部屋主に、スザクがすっと目を細める。
「うん、それはさ・・・ああっ！？」
突然の大声にルルーシュがビクリと肩を震わせた。
「な、なんだ！？」
「大変だ、もうこんな時間だなんて・・・」
深翠の瞳は、ルルーシュの肩越しに壁の時計を見つめている。スザクはポケットから軍支給の腕時計を取り出すと、慌てた様子で手首に巻きつけた。
「一時間で戻るように言われてたんだ・・・ごめんルルーシュ、もう行かなくちゃ」
「・・・軍に『戻る』のか？」
「うん、」
低い問い掛けに、あっさりとスザクが答える。
「今月は軍事演習の予定が詰まっててさ、しばらくは学校にも行けないと思う」
「・・・そう、か」
胸に突き刺さる痛みを堪え、ルルーシュはふいと顔を逸らした。腕時計を覗き込みながら、スザクは足早に戸口へと向かう。
「突然邪魔してゴメン、じゃあまた！」
扉の前で振り返って、スザクはひらりと手を振った。ルルーシュが何か言う暇もなく、その姿が扉の向こうへと消える。
「・・・何なんだ、まったく」
一人の部屋に、ぼやくようなルルーシュの声が大きく響いた。突然押し掛けて来て、挨拶もそこそこに去っていくとはあんまりではないだろうか。
（ 久しぶりに会えたというのに ）
力無くベッドに腰を下ろすと、ルルーシュはぬいぐるみに手を伸ばした。頭を撫でれば、柔らかな茶色の毛並みが指先をくすぐる。
（ 今度はいつ会えるんだ ）
スザクは携帯電話を持っていないから、連絡だってままならない。溜息を無理矢理飲み込んで、ルルーシュはテディベアを抱き寄せた。頬を寄せると、ふわふわとした感触が心地よい。包み込まれるような温かさに、ルルーシュはゆっくりと瞳を閉じる。
「・・・あの馬鹿」

――――その瞬間、不意に扉が開け放たれた。

「ルルーシュ！さっき言い忘れちゃったんだけど、今週末の土曜は生徒会で『芋掘りパーティ』やるって、そこで偶然会長に会って伝言頼まれてたんだ！僕も休みを取って参加するから・・・」
入り口で声を張り上げたスザクが、ベッドを見据えて沈黙した。ぬいぐるみを抱いたまま、ルルーシュは石のように固まっている。微妙な沈黙が場を占め・・・そして、最大ボリュームの怒声が部屋の窓を震わせた。
「勝手に人の部屋に入るなああああああーっ！！！！」
「あ、つい思わず」
「何度言ったらわかるんだ、おまえは・・・！」
「あはは、ごめんごめん」
羞恥に震えながら、ルルーシュが激しく吠える。さして反省した風もなく、スザクがくつくつ笑いながら室内に足を踏み入れた。
「帰れ、この馬鹿！もう二度と顔を見せるな！」
「だから、ゴメンって謝ってるじゃないか」
「うるさいっ」
笑いを堪えながら、スザクが隣に腰掛ける。赤くなった顔を隠すように、ルルーシュは背を向けてベッドに転がった。いい年をした男がぬいぐるみを抱いている姿を見られるなど・・・穴があったら入りたいとは、まさにこの事だ。
しばらくして、スザクが笑いを収めるように息をついた。そして、独白のような呟きがルルーシュの頭上から降り注ぐ。
「・・・本当にゴメンね。なかなか会えなくて」
声が間近に近づき、ベッドのスプリングが深く沈む。
「本当は、君に寂しい思いをさせたくないんだ。でも、僕にはやるべき事があるから・・・だから僕なんかより、いつも傍にいてくれる人の方が君は幸せになるれのかもしれない」
思いもよらぬ告白に、ルルーシュが微かに肩を震わせる。スザクは小さく笑うと、薄い背中を後ろから抱き締めた。
「・・・でも無理なんだ、僕は君を手放せない。他の奴になんて渡したくない。僕は君じゃなくちゃダメだから・・・自分勝手だとは思うけど、少しだけ我慢して待っていてほしいんだ」
後ろから回された腕が、燃えるような熱をもってルルーシュを捕らえる。ぬいぐるみとは違う、熱い血の通った指先・・・きつく抱きしめられて、ルルーシュは吐息を漏らした。
「・・・スザク、痛い」
「あっ、ゴメン！」
スザクが弾かれたように腕を解く。ルルーシュは半身を起こして、深翠の瞳を上目遣いに覗き込んだ。
「それで？」
「・・・は？」
「さっきの続き・・・おまえが欲しかったぬいぐるみを俺に押しつける理由だ」
「ああ、その話か」
はぐらかされた形になって、スザクが目を瞬かせる。
「このテディベア、目に使われてる硝子が珍しい物らしくて、光に当たると緑に見えるんだって・・・だからさ、僕の代わりに置いていこうと思ったんだ。会えない時も、君が僕の事を思いだしてくれるように」
ぬいぐるみを指先でつついて、スザクが照れたように笑った。その様子を見遣って、ルルーシュがつまらなそうに鼻を鳴らす。
「フン、くだらんな。そんな物で俺がおまえの事を考えるとでも思ってるのか？」
「・・・そうだよね、君には必要ないか。じゃあ、それは適当に処分してくれていいよ。僕もそろそろ行かなきゃ」
ばっさりと切り捨てられて、スザクが苦笑した。小さくかぶりを振ると、立ち上がって部屋の出口へと向かう。
「おい、待て！」
ベッドから身を乗り出して、ルルーシュが鋭い声を投げた。足を止めて、スザクがのろのろと振り返る。
「おまえの話に、俺はまだ答えていない」
「僕の話？」
「我慢して待っていろとか言うやつだ」
ベッドの端で王者のように足を組むと、ルルーシュは不機嫌そうな面持ちでスザクを睨み付けた。
「俺はおまえの物じゃないし、おまえの為に存在してるわけじゃない。だからおまえの為に我慢して待っているなんて、真っ平だ」
怒りをはらんだルルーシュの視線を受け止め、スザクの瞳が諦めの色に染まる。
「うん・・・そう、だよね。やっぱり僕なんかより、」
「馬鹿、勘違いするな。俺が自分でおまえを選んだんだ」
スザクを正面から見据えて、ルルーシュが力強く言い放った。目を見張るスザクに向かって、王者は艶然と微笑む。
「おまえを待つとしても、それは俺が自分で決めた事だ。おまえがつまらない事を考える必要はない・・・いいな、スザク」
「ルルーシュ・・・」
「だがな、俺もそんなに長くは待っていられないぞ」
顔を輝かせたスザクに向かって、ルルーシュは両肩をすくめてみせる。
「あんまり放っておかれるとどうなるか・・・気になる奴も出来た事だし」
「ええっ！？き、気になるって・・・誰っ、どんな奴！？」
「こいつだ」
血相を変えるスザクを眺めながら、ルルーシュが隣に座らせたぬいぐるみを抱き寄せる。あからさまにホッとしたスザクの姿に、ルルーシュが笑い声をあげた。
「ルルーシュ、ひどいよ！」
「不法侵入のお返しだ。そんな事より、時間はいいのか？」
「大丈夫！『本気』で走れば、十分間に合うよ」
さらりと言い放つと、スザクは再びベッドサイドに立った。騎士のように膝をつくと、ルルーシュの手を取って恭しく口づける。
「時間もないし、我慢できなくなるから・・・今日はこれだけ」
熱の籠もった言葉に、ルルーシュの瞳がじわりと潤んだ。ほんのりと上気した頬を見上げて、スザクがにっこりと微笑む。
「浮気しちゃダメだからね、たとえぬいぐるみでも」
「馬鹿な事を言ってないで早く行け、遅れるぞ！」
枕を投げつけようとする仕草に飛び退くと、スザクは扉へと走り出す・・・その表情にさっきまでの憂いはない。戸口で手を振って、スザクが嬉しそうに叫んだ。
「週末は必ず空けるからさ・・・待っててね、ルルーシュ！」
風のように走り去る背中を見送って、ルルーシュはゆっくりと息を吐き出した。そのままベッドに寝ころんで、ぬいぐるみの腕の中に身をゆだねる。
（ いつだっておまえの事を待っていてやるから ）
「・・・だから早く帰って来い、馬鹿」

――――すると呟きと同時に、再び扉が開かれた。

「ただいまルルーシュ。おまえの望み通り、早く帰ってきてやったぞ」
ベッドで固まっている共犯者を見下ろして、緑の魔女が呆れた様子で首を捻る。
「ルルーシュ・・・いくら私が不在で寂しいからといって、いい年した男がぬいぐるみを抱いて寝るというのは、さすがに恥ずかしいと思うぞ？」
「・・・・・・どいつもこいつも・・・」
「ふむ、それにしても普段は人の事を散々馬鹿にしておいて、自分はテディベアとはな・・・あ、チーズくんは私のだから絶対に触るなよ、ルルーシュ。おまえの『枢木馬鹿』が感染ったら大変だ」
「人の部屋は、ノックしてから入れええええええーっ！！！！」
手加減なしの怒声に続いて、C.C.の楽しげな笑い声が室内に響く。窓を叩く風はいつの間にか止み――――こうして秋の夜は『静かに』更けていくのであった。



09-12-01／thorn