「信じよう、その約束を」
そう言い残して『ゼロ』は、100万人もの『ゼロ』達を率いて行政特区日本を―――このエリア11を、実にあっさりと去っていった。




そ し て 明 日 へ




誰もいない特区の式典会場で、スザクは一人、座りこんで遠く空を眺めていた。
「・・・なに、してるの」
ステージ上に響いた無感情な声に、顔だけ向けて振り返る。鮮やかなショッキングピンクのマントをなびかせて小柄な少女がスザクの元へと歩み寄った。
「アーニャ、」
「通信、つながらなかったけど」
足を投げ出して座りこむスザクを、側に立ったアーニャが冷めた目で見下ろす。
「ああ、ゴメン・・・撤退も完了したから、ちょっとインカム外してて・・・総督は?」
「ギルフォード卿が政庁に護衛していった」
「そう」
安心したように頷くと、スザクは視線を再び前方に戻した。傍らに転がったインカムを爪先でつついて、アーニャがスザクの隣にしゃがみ込む。
「特区、どうなったの?」
「・・・ギルフォード卿に聞いてないんだ」
「総督の前だったから」
「そっか」
アーニャはスザクに倣って目の前に広がる広大な土地に目を向けた。つい先刻までひしめき合っていた人々は跡形もなく消え去り、後には置き忘れであろう荷物や洋服、弁当のゴミやペットボトルまでも転がっている。それはまるで大きな祭りの後のような光景だった。
「・・・『日本人』はみんな『ゼロ』になっちゃったんだ。だから全員国外追放処分になって、ここから出ていった」
しばしの間をおいて、ぽつりとスザクが呟いた。まるで冗談のような説明に、アーニャが首を傾げる。
「なに、それ」
「だから、『日本人』は『ゼロ』になっちゃったんだよ」
『イレブン』ではなく、『日本人』という呼び名がアーニャの耳に残った。確か、新総督も同じように『イレブン』を『日本人』と呼んでいる。植民地下の人間をエリアナンバーで呼ぶのがブリタニアの習わしであったが、気の抜けたスザクの様子から見ると、今は無意識に口にしているようだった。ぼんやりと彼方をのぞむ深翠の瞳を見遣って、アーニャがつまらなそうな顔で口を開く。
「・・・あなたの言ってる事、よくわからない」
「そうだろうね、でも本当の事だよ」
「証拠は」
「えっ?」
「写真、」
「まさか。撮ってないよ、そんなの」
「・・・使えない男」
不機嫌そうにアーニャが顔を顰めた。スザクが顔を伏せて少しだけ笑う。
「ナナリー・・・総督に何て言おう。特区、誰もいなくなったって言ったら、がっかりするかなあ・・・」
「そんなの知らない」
溜め息と共に吐き出された弱気な言葉を、アーニャはすらりと切り捨てた。スザクの口元が自嘲の形に歪む。緋色の瞳に暮れゆく空を映しながら、アーニャは淡々とした表情で続けた。
「私は行政特区もイレブンもどうでもいい・・・だけど、あなたとナナリー総督のやりたい事って、行政特区にイレブンを集める事なの?」
スザクが軽く目を見開いてアーニャの横顔を見据える。
「・・・アーニャ、僕は」
「おーい、二人とも!何やってんの?」
言いかけた言葉に被さって、ひどく気安い声がその場に割って入った。ステージを横切って来た長身の影が、二人の後ろから力任せに肩を抱く。頭上で楽しげな笑みを浮かべる男に向かって、動揺した様子もなくアーニャが尋ねた。
「ジノ、そっちは片づいた?」
「ああバッチリお見送りしてきたよ・・・100万人の『ゼロ』を、ね」
ジノは思い切りスザクの背に体重を掛けると、口の端を吊り上げてニヤリと笑う。
「今日は見事に『ゼロ』に逃げられちゃったなあ、スザク」
「・・・別に後悔はしてないよ。これが正しい判断だったと思ってる」
体勢を立て直すと、スザクは肩に絡みつく腕を振り払った。生真面目な表情を前に、ジノが大仰に肩をすくめてみせる。
「私は別に構わないが?黒の騎士団とやり合うっていう『お楽しみ』が先に延びただけだからね。でも、怒ってる人間もいる事を忘れてはいけないな・・・ミス・ローマイヤなんかカンカンだったよ。いつも澄ましてるのに、顔真っ赤にしてさあ」
「それ本当?」
まったく興味がなさそうに携帯画面をチェックしていたアーニャがふと顔を上げた。思わぬ食いつきに、何故かジノが自慢げに頷く。
「本当さ!あれは見物だったよ。頭から湯気が出るって、まさにそんな感じだったね!」
「証拠は」
「は?」
「写真、」
「ないよ、そんなの。撮れるわけないだろ!?」
「・・・使えない男」
「ええっ、アーニャ・・・それはひどいよ!そんな写真撮ったら、ミス・ローマイヤに殺されるって!」
半眼で睨み付けるアーニャに、ジノが情けない声を上げた。静まりかえった会場内にジノの声がわんわんとこだまする。響く余韻に三人は一瞬唖然とした表情で固まり、互いの顔を見合わせて一斉に吹き出した。ひとしきり笑い合うと、ジノが勢いをつけて立ち上がる。
「さて、そろそろ戻ろう。総督も心配してる」
「うん、そうだね」
側に転がっていたインカムを手に、スザクもステージに立った。アーニャが長いマントの裾をを軽く手で払う。
「じゃあ、みんなで帰ろうか」
「・・・政庁に戻ったら、ミス・ローマイヤに最低100枚は始末書提出しろって言われるわ」
何か吹っ切れたような表情のスザクを見上げて、釘を差すようにアーニャが無情に言い放った。
「うっ・・・まあ仕方ないよ」
頬を引きつらせたスザクの頭を、ジノが片手でかき回しながら人好きのする笑みを浮かべる。
「それは明日でいいだろ?とりあえず何か食べに行こうって・・・ほら、今日のごたごたでみんな昼ご飯食べ損ねてるだろ?」
「そういえばそうだね。じゃあトウキョウ租界に戻って、」
「『ラーメン』を食べる」
携帯で何かを打ち込みながら、アーニャが力強い口調できっぱりと言った。いつにないアーニャの態度に、スザクとジノが驚いて目を瞬かせる。
「・・・え、ラーメン?」
「らーめん、って何だ、スザク」
「エリア11のヌードルの事だよ。アーニャ、ラーメンが食べたいの?」
画面から目を離さずに、こくりとアーニャが頷いた。
「今日はブログに面白い記事が書けなかった・・・だからトウキョウ租界で一番美味しいラーメン屋さんを紹介する事にしたの」
携帯を閉じると、アーニャが恨みがましい目線でスザクを見据えた。
「・・・スザク、あなたが案内して」
「ラーメン屋さんに連れて行くのはいいけど、租界で一番かどうかは・・・」
気迫のこもったアーニャの様子に気押されて、スザクがそっと後退る。一歩引いたスザクの肩を、誰かの両手ががっしりと押さえた。
「はあ〜い、じゃあラーメンで決定〜!早速行こーう!」
「ちょっ・・・ロイドさん!?」
「スザクくん、君だけセシルくんの手料理から逃げようったってそうはいかないよ〜!なんたって僕は君の後見人だからねえ・・・ちゃんと君の行動を監視する義務があるんです〜」
「・・・誰の、何から逃げるんですか?ロイドさん」
得意げに胸を反らすロイドのすぐ後ろから、妙に優しげな声がステージ上に低く響く。ひゃあ、と声をあげて、ロイドがスザクを盾にした。見ればセシルが腰に手を当て、眦を吊り上げて仁王立ちになっている。思わず固まったスザクに対して、セシルは一瞬で怒りの表情を解くと優しく笑いかけた。
「・・・スザクくん、今日は本当にお疲れさま。後はこっちに任せて、少しみんなでゆっくりしてらっしゃい。この人の面倒は私が見るから大丈夫よ」
セシルは素早い動きでスザクの後ろに隠れたロイドの腕を捻り上げると、アヴァロンが停泊している軍事ポートの方へと引きずっていった。呆然と二人の姿を見送るスザクの腕を、背の低いアーニャがついと引っ張る。
「・・・スザク、早く行こうよ」
「ああ、うん」
「らーめん、か・・・たまには庶民の味を楽しむのも悪くないかもな」
「今日の更新準備、と」
ジノとアーニャが連れ立ってステージを後にする。二人の後に続いて歩いていたスザクは、ステージの端で足を止めた。そして、もう一度振り返って行政特区日本の式典会場を見渡す。誰もいない広大な敷地を前に、スザクは夕焼けに染まった空を見据えて呟いた。
「そうだ、ユフィやナナリーが作りたかったのは『行政特区』じゃない・・・ブリタニアも日本も関係なく、みんなが自由で笑って過ごせる世界なんだ。約束だ、ゼロ・・・僕は日本人を救ってみせる・・・君とは違うやり方で、必ず・・・」
おーい早くしろよ、と遠くからジノの呼ぶ声がスザクの耳に届く。
「わかった、今行く!」
奥に向かって思い切り叫ぶと、スザクはもう一度正面から特区の会場に向き直った。深々と頭を下げて一礼すると、踵を返して仲間の元へ走り去る。その顔に憂いの影はなく、瞳には強い意志と明るい光が宿っていた。


彼と、そして彼女との約束を果たすために、また新しい明日が始まる―――



08-06-02/thorn