突然吹き抜けた強い風に、ルルーシュは慌てて広がったシーツを押さえた。
感じる風は暖かく、どこか甘い香りを含んでいる。
枢木神社の周りに広がる豊かな自然が春の盛りを告げていた。
乾いた洗濯物をかごに取り込みながら、ルルーシュは頭上に広がる青空を見上げる。
日本に送られて半年、ここでの生活にもようやく慣れてきた。
宮廷を追われたあの日から一変した自分たちの境遇――――
だが、ブリタニアを遠く離れてなお、醜い謀略は澱のようにまとわりついている。
ルルーシュはかぶりを振ると、洗濯物が入ったかごを両手で抱えて、ナナリーの待つ『我が家』へと向かった。
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遠 い 約 束
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「ルルーシュ、遅い！」
ようやく『我が家』に戻った途端、大声で怒鳴られて、ルルーシュは抱えた洗濯かごを取り落としそうになる。
見れば、スザクが車椅子のナナリーを促して、幼い妹をその背に背負ったところだった。
「ほら行くぞ。ついてこい」
「ついてこいって、どこに」
ナナリーを背負ったスザクは問いに答えず、足早に家を出る。
抱えていた洗濯物を放り出して、ルルーシュが慌てて後を追った。
「おい、どこに行くのか聞いてるんだ！」
無言のスザクに代わって、ナナリーが答えた。
「サクラ、ですって」
「――――サクラ？」
ナナリーを背負っているにもかかわらず、スザクは深い山道を確かな足取りで先へ進んでいく。
山歩きに慣れないルルーシュは、その姿を見失わないように、やっとの事で二人の後を追った。
「着いた」
半刻ほど歩き続けたところで、涼しい顔をしたスザクがナナリーを抱えて振り返る。
肩で息をしながら顔を上げたルルーシュは、開けた視界に目を見張った。
目の前に広がるのは、満開の山桜。
三人の立つ小さな棚地からは、周囲の桜はもちろん、山一面に広がる桜の木々を見渡す事ができた。
スザクはナナリーを背からそっと降ろし、日当たりのいい木の下に座らせる。
「すごいだろ、ここ。俺の秘密の場所なんだ」
そう言うとスザクは近くの枝に咲く花を一房、無造作にむしり取り、ルルーシュに突き出した。
とまどいがちに受け取ったルルーシュに、スザクは顎でナナリーを示す。
意味を悟ったルルーシュは、盲目の妹の手にそっと桜の花を握らせた。ナナリーは花弁に触れて、小さく声をあげる。
「お花･･･これ、サクラですね！なんだかいい匂いがします」
「そう、薄い桃色の、小さい花が木にたくさん咲いてるんだ」
「木に、たくさん？」
「そう、周りにある木、全部だよ」
スザクは腕組みをしながら、兄妹のやりとりを黙して聞いている
ふいに山間を一陣の強い風が吹き、桜の花びらが一斉に風に舞った。
「すごい･･･」
思わず声をあげ、ルルーシュはその美しい光景に見蕩れる。
「おにいさま？」
「･･････ああ、今の風でサクラの花びらがたくさん散って･･･一面真っ白になって･･･」
普段は弁の立つルルーシュであったが、あまりの光景に説明する言葉が出てこない。
つたない言葉で何とか伝えようと苦心する兄に向かって、ナナリーは微笑んだ。
「そうですか･･･綺麗なんでしょうね、きっと」
幼い妹の無垢な笑顔に、ルルーシュは声を詰まらせる。
ナナリーの瞳は光を映さない。
身体を撃ち抜かれた恐怖と母親の死を目の当たりにして、ナナリーは自ら世界を拒絶した。
どんなに言葉を尽くしても、その両眼に光を届ける事はできない――――
幼い妹の眼前に広がる暗闇を思って、ルルーシュは絶望に捕らわれる。
そのとき、突然、強い口調でスザクが割り入った。
「ああ、すごく綺麗だ。こんなの、ここでしか見られない･･･自分で見なきゃ、わからないだろうな」
遠慮のないスザクの言葉に、ナナリーが戸惑ったように俯く。
その無神経さに怒りを感じ、ルルーシュが口を開きかけた時、スザクがナナリーの傍らにしゃがみ込んだ。
「ナナリー」
膝に置かれた幼い少女の手に自分の手を重ね、力強い声でスザクは語りかける。
「ナナリーの目は、絶対に良くなる。きっとまた、見えるようになる」
「スザクさん･･･」
「だから来年、また来よう。今度はちゃんと自分の目で見るんだ」
スザクは空いた片方の手で、立ちすくむルルーシュの手を取った。
「また三人で、一緒に」
顔を上げて、ナナリーが明るい笑顔で頷いた。スザクはナナリーの頭を優しい手つきで撫でる。
妹に気づかれないように固く唇をかみしめて、ルルーシュは泣き出しそうになるのをぐっとこらえた。
耐えきれず、紫の瞳から透明な雫が静かに流れ落ちる。
スザクは見ない振りをして、繋ぐ手をただ強く握りしめた。
『他人』の前で涙を見せたのは、それが初めてだった――――
生徒会室へ向かう途中、スザクは庭園の片隅で佇むルルーシュに気づいた。
小さな枯れ木を見つめる影に、ゆっくりと歩み寄る。
「ルルーシュ、こんな所でどうしたの」
「･･･スザク」
隣に並んで、2メートルほどの高さの細い木を二人で眺める。
「これ･･･桜の木？」
スザクが目を細めた。ルルーシュが小さく頷く。
「こんな小さな木だけれど、毎年少しだけ花をつけるんだ」
ルルーシュは目を閉じて、何かを懐かしむかのようにうっすらと微笑む。
「ここに来てから毎年、ナナリーと一緒にこのサクラを見ているよ」
冷たい風が吹いて、桜の細い枝先が戦慄くように震えた。
「なあ、あのときの約束、覚えているか」
ルルーシュがぽつりと呟く。
「もちろん」
スザクは桜の枯れた枝をじっと見据えて言った。
「もう、あの場所はないけれど」
七年前の戦火が豊かな山を、美しい桜の木々を、すべて焼き尽くした。
そして、ナナリーの目も、未だ――――
知らず、口元を歪ませたルルーシュの手をスザクが取った。幼い頃と同じ、強い力で。
「また、三人で一緒に」
ルルーシュは俯いて、答える代わりにそっと手を握り返した。
吹きすさぶ風はまだ冷たく、春はまだ遠い。
繋いだ手の温かさだけを頼りに、二人はしばらく痩せた桜の木を見つめていた。
そして遠い約束は桜の花のように舞い散り、儚く空に消える
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07-04-14／thorn
07-04-30（revised）／thorn
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