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あの時の事はほとんど覚えていない。
忘れたのか、忘れようとしたのか。
それすらわからない――――何もかも、すべてが。
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奈 落 の 底
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ここは、どこだろう。
ふと我に返れば、薄い毛布一枚を握りしめて震えている自分がいた。
暗闇に目を凝らす。
備え付けの固いベッド、安っぽいパイプ椅子、そして小さなライティングデスク。
全く装飾のない無機質な部屋。必要最低限の生活用品。
どうやら自室に放り込まれたようだった。
周りに占めるのは闇。
窓は閉ざされているのか、それとも今は夜なのか、それすら解らない。確かめる力もない。
どうして、ここに。
スザクは頭の中にかかった靄をゆっくりと振り払う。
成田での演習、黒の騎士団の出現、ゼロと新宿の少女、そして・・・・・・そして?
父 さ ん
心臓がどくりと音をたて、スザクは目を見開いた。
――――思い出せない、思い出したく、ない。
毛布にくるまったまま、目を閉じて膝を抱える。ひどく寒い。
仕方がなかったんだ、だって。
『そう、しかたがなかった』
暗闇の奥で、誰かが応えた。無邪気で明るい子供の声。
『しかたがなかったんだ、だって、そうするしか、なかったんだ』
その声は徐々に近づいて、今度は手を伸ばせば掴めそうなほど近くから囁く。
『あのとき、とうさんは、しななくちゃ、ならなかった』
恐れも迷いも、穢れも知らぬ、幼い頃の自分が漆黒の中にぼんやりと形作られる。
そうだ、あの時、父さんは死ななければならなかった。だから、僕は、
スザク、よくおきき
自分を呼ぶ声にスザクはゆっくりと顔を上げた。脳裏をよぎる、懐かしい響き。
クラヤミからキこえるコエに、ミミをかしてはいけないよ
クラいクラいナラクのソコへ、つれていかれてしまうから
それは幼い頃に何度も聞かされた言葉だった。
誰の声なのか――――思い出せない。
しかし、記憶の底に眠っていたその声はスザクの正気を呼び戻した。聞くだけで胸の奥が温かくなる、慈愛に満ちた声音。
一体誰だったのだろう――――かあ、さん?
『だから、ぼくは、とうさんを、ころし』
「うるさい、黙れッ!!!」
スザクは闇の声を振り払った。怒鳴り声の余韻が狭い部屋の中にわんわんと反響する。
耳が痛くなるような一瞬の静寂の後、唸るような嘲笑が響き渡った。
『お前が殺したんだ実の父親になんという事を』 『隠せ隠すんだ絶対にこんな事が知られてはこの枢木家の』 『痛い痛い苦しい誰か助けて』 『お前のせいだお前のせいで日本はブリタニアに』 『人殺しッこの人殺し』 『裏切り者おまえはもう日本人じゃないこの売国奴め』 『死ね死んで皆に詫びろ死ね死ねしねシネ』
違う違う違う、耳を傾けるな、これは幻、これは悪夢の世界。
飲み込まれるな、飲み込まれてはいけない。
スザクは両手で耳を塞ぎ、嵐のような悪罵に耐えた。
クラヤミにマドうときは、オマエのイチバンダイジなものを、
マモりたいものを、ココロにツヨくもちなさい
心に浮かんだ声を必死に手繰り、スザクは何者かに祈る。
一番大事なもの、護りたいもの。
それは――――
「どうした、スザク」
暗闇に凛とした声が響いた。途端、すっと悪意の波がひく。
「情けないな。背筋を伸ばせ」
まだあどけない色を残しながら、大人びた口調で彼が呟く。
「母上が教えてくれたんだ」
絶望にうち震えるスザクの頬にそっと触れる、小さな手。
それは幼い頃、悪夢にうなされて飛び起きた時、いつも彼がしてくれた、おまじない。
「人の体温は、涙に効くって」
そこで始めてスザクは自分が涙を流している事に気が付いた。
触れられた場所からじわりと温かさが広がる。
彼の母親は、幼い彼の目の前で無惨に殺されたという。
それはどんな痛みだったろう。それはどんな苦しみだったろう。
「悪い夢は、いつか全て、消える」
その傷は癒える事はなく、常に彼を苛む。
しかしそれでもなお彼は立ち上がり、眩い光を湛えたその目で、僕を導くのだ。
「行こう、スザク、歩くんだ」
「ルルーシュ!」
スザクは暗闇の中でルルーシュに手を伸ばした。
しかしその両手はむなしく宙を掻く。
頬に触れる手の感触が消え、苦しいほどの静寂ががらんどうの部屋に戻った。
――――ルルーシュ。今、君に会いたい。
幼い頃のように抱きしめてほしい。
僕は その 身 を 引き ち ぎ っ て、
しっかりしろと言って笑ってほしい。
君 の 血肉の 温かさを 貪り、
君の温かさと、その優しさと強さを、ほんの少しだけ、どうか僕に。
その光を 永遠に 俺の ものに、
震える両腕で、スザクはそのまま自らを強く掻き抱いた。
脇腹の傷を知らず抉る。指先にうっすらと広がる濡れた感触。
古傷が開き、鈍い痛みが広がった。
これは、彼を庇って負った傷。
深い闇の中で、スザクは一人微笑んだ。
ねえ、ルルーシュ。
大丈夫、僕に、任せて。
彼の瞳に宿る強く、清らかで、純粋な光を、求めている。
光を。
暗闇の奥で、誰かが小さく嗤った。 |
07-02-03/thorn
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