「ただいまぁ!」

アパートの鍵を開けると、僕は部屋の奥に向かって大声で叫んだ・・・だけど返事はない。当たり前だ、部屋には誰もいないんだから。でもお腹の底から声を出すと気持ちが軽くなって、何だか強くなった気がしてくる。これは『おじちゃん』に教えてもらった『気合い』というやつだ。
僕は玄関に靴を脱ぎ捨てて、静まりかえった部屋の中に勢いよく踏み込んだ。ランドセルを机に放り投げて、部屋の隅にある仏壇の前に座る。鐘を鳴らして手を合わせると、僕はお供えの隣に置かれている500円玉を手に取った。仏壇は母さんと決めた夕飯代の置き場所なのだ。
母さんはいつも、僕が起きるより早く仕事に行って、僕が寝た後に帰ってくる。ちゃんと顔を見られるのは、仕事がお休みの日曜ぐらいのものだ・・・母さんは疲れてほとんど眠っているけれど。
毎日一人ぼっちの部屋で過ごすのは寂しい。でも、亡くなった父さんの代わりに母さんが頑張っているんだから仕方ない。料理人だった父さんは、ブリタニア政庁で『名誉ブリタニア人』唯一のスタッフとして調理の仕事をしていた。

『今の総督は日本の食べ物がお好きみたいなんだ。今日はだし巻き卵を作ったんだけど、とても喜んでもらえたよ』

僕をひざに乗せて、父さんが嬉しそうに話していたのをよく覚えている。ブリタニアの支配下で怖いことや不自由なことはいっぱいあったけど、僕たち家族はそれなりに『幸せ』に暮らしていたんだと思う・・・あの日、父さんがフレイヤに巻き込まれて消えてしまうまでは。
白黒の写真の中で笑う父さんを見ながら、僕は思う。日本がブリタニアから独立して、悪い皇帝もいなくなって、みんな『平和』になったというけれど、それが何だっていうんだろう。僕の大好きな父さんはもうどこにもいない。大好きな人がいない『平和』って何なんだ。どんなに世の中が『平和』になったとしても、死んだ人はもう二度と帰ってこない・・・なんだか悲しい気持ちになってきて、僕は小さく鼻をすすった。今日は学校ですごく大変な事があったんだ。父さんが生きていた頃は、困ったことは何だって相談した。でも、もうそれも出来ない・・・今日も僕は一人ぼっちだ。目の奥がじわっと熱くなる。その時、僕は急に『あの時の事』を思い出した。

『おいテメエ!男だったら、メソメソしてんじゃぁねえよ、バーカっ!』

ガラの悪い怒鳴り声が頭の中に響く・・・そうだ、こんな時は『秘密基地』に行こう・・・『おじちゃん』に会いに行こう!
僕はぐいぐいと片手で目をこすると、500円玉を握りしめて立ち上がった。





ぼ  く  ら  の  英  雄
01





僕の『秘密基地』――――それは町の片隅にある、小さな喫茶店だ。夜はバーにもなるらしい。店の入り口は路地裏のような細い道にあって、普通の人だったら気が付かない場所にある。よく見れば小さな看板があるけれど、『おじちゃん』 の手書きの文字が汚くて、何て書いてあるのか僕にはわからない。聞いたら怒られそうだから、聞いた事もない。
『秘密基地』に入るには、ちょっとしたルールがある。店の前に立って、僕は大きく息を吸い込んだ。

「玉城のおじちゃん、こんにちは!」

勢いよく扉を開けると、括り付けられていたベルがカランカランと店の中に響き渡る。『子供は大きな声で元気に挨拶すること』・・・これがこの店に入るときのルールだ。でないと罵声が飛んできて、入るところからやり直しをさせられる。
店の中に飛び込むと、カウンターの奥でグラスを拭いていた背中がくるりとこちらを振り向いた。

「いよう、坊主!・・・ていうかおまえ、『おじちゃん』じゃなくて『玉城さん』って呼べって何度言ったらわかるんだよっ!」
「でもおじちゃんだって僕の事、子供扱いして『坊主』って呼ぶじゃないか」
「バーカ、小学生のガキなんざ、『坊主』でいいんだ!」
「じゃあ僕は『ガキ』だから、『玉城さん』の事、『おじちゃん』って呼んでもいいよね?」
「くーっ、まったく口の減らねえガキだぜ!」

エヘヘと笑って、僕はカウンターにある背の高い椅子によじ登った。この椅子に座るといつもより目線がずっと高くなって、急に大人になったような気がする。すると玉城のおじちゃんがニッと歯を見せて、いつものように僕の顔を覗き込んだ。

「・・・で、お客さん。今日は何にするよ?」
「もちろん、『ゼロスペシャル』!」

手にした500円を突き出して、僕は『特別メニュー』を注文した。『ゼロスペシャル』はこの店の常連だけに許された『裏メニュー』だ・・・と言っても、ここには常連しか来ないみたいだけれど。

「あいよー、ちっと待ってな!」

喫茶店のマスターとは思えない掛け声と共に、玉城のおじちゃんが鍋に火を入れた。煮立ったお湯に白いうどんがゆらゆらと踊っている。隣の鍋ではくつくつと中身が煮え立つ音がして、辺りにほんのりカレーの匂いが漂ってきた。

「あのゼロが唯一文句言わないで食った、黒の騎士団のまかないメニューなんだぜ?」

カウンターにどかんとカレーうどんを置いて、玉城のおじちゃんが得意げに胸をそらせる。

「そーら、食え!」
「いただきます」

割り箸をぱちんと割って、僕はきちんと両手を合わせた。おじちゃんが満足げに頷く。ゼロの名前を出して大げさに自慢するだけあって、ここのカレーうどんはとっても美味しい。真ん中に卵が落としてあるんだけど、最初にかき混ぜてしまうか、固まるまで取っておくかは食べる人次第だ。

「おっ、やっぱ坊主は通だなあ!卵は半熟で食うもんだよな〜!」
「うん」

本当は卵が固まっている方が好きなんだけど、ここではいつも半熟ぐらいで食べる事にしている・・・玉城のおじちゃんが『通』だと褒めてくれるのが嬉しいからだ。おじちゃんは僕がカレーうどんをすするのを見ながら、ご機嫌な様子で鼻歌混じりに皿を拭き始めた。僕は熱々のうどんにフウフウ息を吹きかけながら、初めてこの店に来た時の事を思い出した。

僕がこの『玉城のおじちゃん』と知り合ったのは、つい三ヶ月前の事だ。家の鍵を忘れて公園でベソをかいていた僕は、突然ガラの悪い知らない男に声を掛けられた。

『おいテメエ!男だったら、メソメソしてんじゃぁねえよ、バーカっ!・・・ほら立て、メシ行くぞ、メシ!』

第一声からいきなり怒鳴られて、なんだかわからないうちにご飯を食べさせてもらった。あの時は驚いたけど、家でいつも一人きりだったから、誰かと一緒に食べるご飯がとても嬉しかった。それから僕は、ちょくちょくこの『秘密基地』にご飯を食べにきている。なんでもここは黒の騎士団の最初のアジトがあった所で、玉城のおじちゃんが買い取って、喫茶店兼バーとして開店したらしい。入り口がおかしなところにあるのも、きっとそのせいだろう。元・黒の騎士団の人たちもこっそり通ってきているようだし、ゼロの大ファンである僕にとって、ここはとっておきの場所なのだ。

うどんに箸をつける前に、僕は上目遣いでおじちゃんの様子を窺った。お皿を拭き終わったおじちゃんは、今度は棚に並べてあるグラスを一つずつ丁寧に磨いている。

「・・・ねえ、おじちゃん」
「あん?なんだよ」
「・・・ゼロがこのお店に来る時ってある?」
「なんだぁ、いきなり」
「僕、ゼロに頼みたい事があるんだ・・・」
「・・・あいつぁ、クソ忙しい奴だからなあ。用件にもよるだろ。まあ、顔を繋いでやらねえ事もないから、まずこの俺に話してみろってんだ」

玉城のおじちゃんがグラスを拭く手を止めて僕をじっと見詰めた。そして勢いよく僕の目の前に指を突き付ける。

「その前に、だ。ちゃんとメシを食え!話はそれからだ、わかったな!」
「うんっ」

僕は大きく頷いて、割り箸の先でどんぶりの真ん中にある卵をつついた。半熟の卵から、とろりとした黄身が溢れ出す。それを見たら急にお腹が減ってきて、僕はカレーうどんをすごい勢いで食べ始めた。

「うわっ、こらテメエ・・・カレーの汁、飛ばさねえように食えよ!」

カウンターに肘をついていたおじちゃんが、服の袖口で無造作に顔をこすると、口をへの字に曲げて僕を睨み付けた。


To Be Continued...



08-10-26/thorn