Addressee unknown




細かな振動と共に無機質な着信音が響いて、携帯電話がメールの到来を告げた。クラブハウスへと続く歩道を歩きながら、ルルーシュはポケットから携帯を取り出して差出人を確認する。ディスプレイに表示された文字は『Unknown』。
「・・・またか」
呆れたような表情を浮かべて足を止めると、ルルーシュはメールの内容に目を走らせた。いつもは冷たい印象を与える紫紺の瞳が、珍しく好奇の色に満ちている。


こんにちは、元気ですか。僕は元気です。こちらはだいぶ暖かくなりました。今日、道に小さな花が咲いているのを見つけました。なぜか君のことを思い出します。

今、君はどうしていますか。君がいつも笑顔でいますように。では、さようなら。


たわいない内容のメールにルルーシュはふと笑みをこぼす。メールの差出人は『Unknown』・・・つまり、ルルーシュの携帯アドレスに登録されていない人物からの送信だ。最初はスパムメールだと思っていたのだが、受信拒否の設定を忘れていた所に再びメールが送られてきた。製品の宣伝が書かれているわけでもなく、勧誘のアドレスが貼られているわけでもない。ただ、ほんの些細な日常の出来事と、『君』への想いが拙い文章で綴られている・・・そんなメールを、いつしかルルーシュは心待ちにするようになっていた。


こんにちは、元気ですか。僕は元気です。今日、君が小さい頃に住んでいたという所にはじめて来ました。すごく大きな所なんだね。君からもっと色々な話を聞いておけばよかった。

今、君はどうしていますか。君がいつも笑顔でいますように。では、さようなら。


『僕』から届くメールに、ルルーシュは全く心当たりがなかった。完全な間違いメールである。送信元のアドレスを調べてみると、メールはブリタニアの接続会社を通して直接携帯電話の番号に送られているようだった。おそらくアドレスの登録間違いであろう。もしくは、相手の電話番号が変わったのを知らずにメールを送っているのかもしれない。ルルーシュがこの携帯番号を新規で取得したのが、ちょうど一年ほど前であるからだ。本来であれば、2、3通受け取った所で、本人に間違いであることを指摘してやるべきだったのだろう。しかし、そのタイミングを逃して一年・・・ぽつぽつと思い出したように届くメールも今は10通近くになっていた。


こんにちは、元気ですか。僕は元気です。今日初めて、近所の猫が僕の置いたエサを食べてくれました。でも触ろうとしたら噛みつかれてしまった。君はよく懐かれていたね。うらやましかったよ。

今、君はどうしていますか。君がいつも笑顔でいますように。では、さようなら。


「ふふ・・・間抜けなヤツ」
自分の事を『僕』と言っても、メールだけでは男女の別は判断できない。しかし、メールの文面や雰囲気からいって、差出人は男性であるようだった。必死に猫を手懐けている男の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。先月送られてきたメールを読み返して、ルルーシュは歩道のベンチで小さな笑い声を立てた。


こんにちは、元気ですか。僕は元気です。今日は祝勝会がありました。豪華な料理もたくさん並んでいたけど、むかし君と一緒に屋上で食べたお弁当の方が、ずっとずっとおいしかった。

今、君はどうしていますか。君がいつも笑顔でいますように。では、さようなら。


メールはいつも「こんにちは」で始まって、「さようなら」で終わる。「またね」などの再会を望む言葉を、『僕』は一度も使った事がない。今までに届いたメールを一つ一つ眺めながら、ルルーシュはメールの中の『僕』と『君』に思いを馳せた。この二人は一体どういった関係なのだろうか。「祝勝会」とあるから、『僕』は軍隊にいるのかもしれない。今は世界中で戦争が起こっているから、あり得ない話ではなかった。そう考えて読めば、徴兵された男が恋人か家族に宛てたメールのようにも思える。・・・だが、この男は『君』からの返事が全く来ない事を不審に思わないのだろうか。ふと思いついて、ルルーシュは携帯を片手に首を傾げた。一年前に初めてメールが届いてから、今まで一度もこのメールに返信した事はない。いずれ自分で間違いに気が付くだろうと放置していたのだが、よく考えてみればおかしな話である。


こんにちは、元気ですか。僕は元気です。はじめてメールを書きます。新しい同僚が使い方を教えてくれました。いまさら君に何を伝えたらいいのか、よくわからないけれど。

今、君はどうしていますか。君がいつも笑顔でいますように。では、さようなら。


本当に返信がほしいのであれば、この番号に電話を掛けてちゃんと届いているか確かめてみればいいのだ。しかし、今までそういった様子もない。『君』へ語り掛けながらも、メールはどれも独白のような内容だった。
ルルーシュはディスプレイに並んだ『Unknown』の文字を眺めて溜息をつく。このメールの『僕』は、届かぬメールと知りながら、『君』への想いを綴っているのではないだろうか。大切な人に届く事のない、返事の来ないメールを送り続ける・・・それはとても寂しくて、ひどく悲しいことのように思えた。ベンチに腰を下ろしたまま、ルルーシュは晴れ上がった空を見上げる。そして再び目を落とすと、指先で手にした携帯のボタンを押し始めた。








  *  *  *








「ちょっと教えてほしい事があるんだけど、いいかな」
携帯電話を覗き込んでいたアーニャは、頭上から降ってきた声に顔を上げた。感情の見えない深翠色の瞳がじっと自分を見下ろしている・・・エリア11出身の新しい『仲間』、枢木スザクだ。
「これなんだけど、メールに添付されてるファイルはどうやって見ればいいの」
「・・・ちょっと借りていい?」
「ああ、」
革張りのソファに行儀良く腰掛けていたアーニャに、スザクが自分の携帯を手渡す。ディスプレイには一件の新着メールと、ファイルの添付を示すマークが表示されていた。
携帯電話を持ち始めて一年近くになるが、枢木スザクは未だその扱いに慣れない・・・というより、あまり興味を持っているように見えなかった。属領に住まうナンバーズは、ブリタニアに対する集団蜂起を阻止するために携帯電話の所持を禁止されている。表向きはブリタニア市民と同等の権利を持つとされた名誉ブリタニア人も同様だ。皇帝直属の騎士に任命されて、枢木スザクは初めて携帯電話の所持を許可された。支給された携帯は個人で自由に使用していいのだが、長く名誉ブリタニア人であった彼にはあまり馴染みがないのだろう。せっかくの最新機種を持て余しているスザクに、アーニャは丁寧に使い方を教えてやった。それから、携帯関係で困った事があると、彼はアーニャを尋ねてくる。いつも無表情で、何事にも執着を見せない彼が自分から人に関わろうとするのは、こういった用件が発生した時ぐらいであった。
「こうして、ここのボタンを押すの・・・そうすると、ほら」
操作方法をスザクに示しながら、アーニャは携帯のボタンを押した。ファイルの受信完了を示すメッセージが表示されて、その一瞬後、ディスプレイいっぱいに薄桃色の小さな花が映し出される。
「わあ・・・きれい・・・」
思わず声に出して呟くと、聞き慣れない言葉が耳元で聞こえた。
「サクラ、」
「え?」
聞き返そうと傍らのスザクを仰いで、アーニャは目を見張った。いつも厳しく結ばれている口元が緩んで、柔らかな微笑みが浮かんでいる。
「あ・・・」
「いや、cherry blossom」
おそらくエリア11での名称であったのだろう。即座に言い直すと、スザクはアーニャの手から自分の携帯を取り戻した。優しい笑みは一瞬で掻き消え、その瞳にはいつもの鋭く冷たい光が戻っている。
「ありがとう、アーニャ」
律儀に頭を下げると、携帯を懐に入れてスザクは踵を返した。鮮やかな濃紺のマントが広がり、磨かれた床に響く靴音が遠ざかっていく。
「なんだよアイツ、あんな顔もできるんじゃないか」
向かいのソファにだらしなく伸びていたジノが、スザクの後ろ姿を見送って驚いたように声を上げた。
アーニャが自分の携帯を手に、少しだけ眉を寄せる。
「・・・写真、取っておけばよかった」
ブログのいいネタになったのに、と呟くと、ジノがおまえらしい感想だなあと言って笑った。





こんにちは、はじめまして。
あなたのメールを受け取った者です。何度かメールをいただきましたが、送信先が間違っているようなので、確認してみて下さい。

それから大変失礼ですが、あなたのメールを拝見しました。
あなたの大切な方は、きっと笑顔で元気にしていると思います。だからあなたも、その方のためにどうか笑顔でいてあげてください。では、さようなら。

[添付ファイルあり]





08-03-23/thorn