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Intrusion
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――――おまえは世界からはじき出されたんだ!
背筋を這い上がる寒気に小さく身震いして、ルルーシュはうっすらと目を開けた。
ぼんやりと視界に映ったのは見覚えのある応接テーブルと付けっぱなしのテレビ・・・どうやらリビングのソファでうたた寝をしていたらしい。
小さくため息をついて、ルルーシュはもう一度目を閉じた。 ・・・なんだか酷い夢を見た気がするが、内容はまるで思い出せない。
横たえた身を捩ると、体を覆っていた物がするりと肩から滑った。
引き上げようとして腕を伸ばすと、横から伸びた手がそれを取り上げて再び細い肩を覆う。
重い瞼を上げて仰ぎ見れば、深翠の瞳がルルーシュを見下ろしていた。
「あぁ・・・す、ざく・・・」
「・・・ごめん、起こしたかな?」
「いや、」
気怠い身体を起こすと、ルルーシュは自分に掛けられていた物に気がついて目を見張る。
無造作に預けられていたのは、上質な生地で仕立てられた濃紺のマント。
中央に大きく縫い取られた金色の文様は、選ばれた人間にしか身につける事が許されない装飾だ。
「こんな大事な物・・・!」
「そのまま寝ていたら風邪をひくからね」
マントを受け取って、スザクは事も無げに微笑む。
「それなら起こしてくれればよかったのに・・・」
「よく眠っているみたいだったから、悪いと思ってさ」
素直に礼が言えず、照れ隠しに顔を顰めてみせると、スザクが苦笑して目を細めた。
大人びたその表情が眩しくて、ルルーシュは思わず視線を逸らす。
なぜだろう、スザクの笑顔を見ていると胸が苦しくなる――――
不可解な感情を誤魔化すように、ルルーシュはテーブルの上にあったリモコンを手に取った。
適当にボタンを押すと、テレビ画面がエリアニュースに切り替わる。
白いジャケットの上にマントを身に付けながら、スザクが問い掛けた。
「・・・昨日は遅かったんだ?」
「まあな、ちょっと調べ物をしていたら、つい」
『昨日未明、×××のブリタニア軍駐屯地にて爆破テロがあり、軍関係者を含む5名が重軽傷を負いました。これについて武装組織による犯行声明は発表されていませんが、当局では・・・』
正面に据えられた大型画面の中で、ニュースキャスターが険しい顔で原稿を読み上げている。
「・・・なんだ、この近くじゃないか?物騒だな、」
流れてきたニュースに眉をひそめて、ルルーシュは傍らに立つスザクを見上げた。
スザクは先ほどから変わらない穏やかな表情でルルーシュを見つめている。
「そうだね。でもこれは・・・君もよく知っている事だろう?」
「え?」
怪訝な顔で問い返したルルーシュに、スザクの笑みが深くなった。
「黒の騎士団、」
まるで出来の悪い子供に言い聞かせるように、ゆっくりとスザクが発音する。
「くろの、きしだん?」
「そう」
たどたどしい口調で繰り返したルルーシュに、よくできました、といった表情でスザクが頷いた。
・・・自分はまだ夢の中にいるのだろうか。
スザクの顔をぼんやりと見据えながら、ルルーシュは頭の片隅で考える。
人好きのする笑顔も、柔らかな口調も、いつものスザクとまるで変わらない・・・それなのに、何故スザクの顔が歪んで見えるのだろう?
「ねえ、君は覚えているだろう・・・『あいつ』の事を」
ルルーシュの元に身を屈めて、囁くようにスザクが言った。
「・・・あいつ?」
「うん」
「・・・だれ?」
つたない言葉遣いで問い掛けたルルーシュに、困ったな、と言ってスザクが苦笑する。
音を発する事なく、その唇が動いた。
「・・・ぜ、ろ?」
「そうだよ、ルルーシュ」
当たり、と言ってスザクは楽しげに笑った。
漆黒のグローブを填めたままの両手がルルーシュの細い首に絡みつく。冷たい革の感触が、血の通った首筋から体温を奪った。
・・・ああ、これは夢だ。
スザクの為すがままに、ルルーシュは虚ろな瞳で目の前の男を見つめる。
息がじわりと苦しくなるのと同時に、深翠色の双眸に暗い炎が灯った。
炎は徐々に広がって澄んだ翠色を侵していく――――その色は憎悪と怒りを混ぜ込んだ、絶望の赤。
邪に染まった瞳で、スザクはにっこりと笑いかけた。
「今度こそ、殺さなくちゃならないね、ルルーシュ」
「・・・ス・・・ザ・・・ク・・・」
絞まっていく喉に喘ぎながら、ルルーシュはきれぎれにその名を呼ぶ。
自分を見るスザクの目が一瞬だけ苦しげに歪んだ。
傷ついた獣の目だ、とルルーシュは思う・・・傷口から血を流して、必死に牙を剥く獣の目。
「・・・ス・・・ザ・・・ク・・・」
ルルーシュは手を伸ばして、指先でスザクの頬にそっと触れた。
潤んだ紫紺の瞳から、一粒の雫が頬を伝って流れ落ちる。
苦痛や恐怖はなかった・・・ただ目の前の男が痛々しく、ひどく哀れで、どうしようもなかった。
革のグローブに出来た小さな水玉に、スザクの内にある暗い炎が揺れる。
やがて本来の色が瞳に戻ると、ゆっくりと首に絡みついた指が離れた。ルルーシュが軽く息をついて呼吸を整える。
「・・・俺は・・・許すわけにはいかない・・・」
俯いたスザクが絞り出すように言った。
「・・・絶対に・・・絶対に・・・許すわけには・・・」
「スザク、」
苦しげに吐き出される言葉に耐えきれず、ルルーシュは手を伸ばしてスザクを引き寄せた。
・・・きっと疲れているのだ、最近立て続けに起こるテロ事件のせいで。
ニュースキャスターの声は、相変わらず各地で起こった悲惨な事件を伝えている。
ルルーシュはスザクを守るように、痩せた両腕でそっと頭を抱きかかえた。
「誰かを傷つける事に、一番傷ついているのはおまえだ」
ルルーシュの静かな呟きに、腕の中でスザクが目を見張った。
くせのある柔らかな髪に顔を埋めて、哀れむようにルルーシュが続ける。
「おまえは優しいから・・・自分に嘘をついて、むりやり笑ったりしなくていい・・・苦しい時や、つらい時は、そう言っていいんだ、スザク」
淡く微笑んで、ルルーシュはスザクの背を優しく撫でた。
「ル、ルーシュ・・・」
くぐもった声と共に、スザクの手がルルーシュの背後に回される。しがみつくように抱きついてくる身体は小さく震えていた。
自分より一回り大きな背中を抱いて、ルルーシュは静かに目を閉じる。
一年前の『黒の騎士団』の煽動による、イレブンの一斉蜂起。 その動乱の中で、彼の主人であった皇女・ユーフェミアは『ゼロ』に殺されたのだという。
護るべき主人を失ったスザクはナイトメアを駆って『黒の騎士団』を壊滅し、エリア11の反乱を沈めた。その功績によって皇帝の騎士へと召し上げられた後も、彼は各地に散らばる残党を狩り続けている。
同胞である『イレブン』を情け容赦なく屠る姿は、味方であるブリタニア軍からも『鬼神』として恐れられているというが・・・ルルーシュは彼の本当の姿は別である事を知っている。
「あのとき、おまえは俺の命を救ってくれた」
一年前の動乱は、彼と彼の主人だけでなく、自分の人生までも変えた。
街に出ていたルルーシュは暴動に巻き込まれ、何者かに胸を撃ち抜かれて倒れていたのだという。それを偶然スザクに助けられ、かろうじて一命は取り留めたものの、ルルーシュは過去の記憶を全て失ってしまった。
・・・自分が何者なのか、どこから来たのか、何もわからないという押しつぶされそうな不安。
それを支えてくれたのが、弟のロロとスザクだった。
『ナイト・オブ・ラウンズ』という高位の職につきながらも、同じ歳だからという単純な理由でスザクは何度も見舞いに訪れ、ルルーシュを励ましてくれた。
彼の見せる表情はいつも優しく穏やかで、当初ルルーシュは世間で騒がれる『鬼神』が目の前の少年と同一人物であるとは信じられず、スザクの自己紹介を冗談だと思っていた程である。
彼が『鬼神』の面影を見せるのは、『ゼロ』に関わる時だけ――――
愛する者の命を奪った犯罪者を恨むのは当然の事だとルルーシュは思う。
しかし、『ゼロ』への怒りを滲ませるスザクはどこか苦しげで、それがルルーシュには常に気に掛かっていた。
「俺も、少しでもおまえの力に・・・」
「ねえルルーシュ・・・今、君は幸せかい?」
薄い胸に額を押しつけたまま、スザクが無理矢理言葉を遮った。
唐突な問いに、ルルーシュが怪訝そうな表情を浮かべる。
感情を押し殺した声が、重ねてルルーシュに問い掛けた。
「記憶を失って・・・大事な人も、大切な思い出も、全部わからなくなって・・・」
スザクがゆっくりと身体を離して、ルルーシュの顔を正面から見据える。
「それでも、今・・・君は幸せかい?」
ルルーシュは静かに目を伏せて、もう一度、真っ直ぐに深翠の瞳を見返した。
「ああ、もちろんだ。おまえに救われて、生きていて良かったと思っている」
ありがとう、スザク。
はっきりとしたルルーシュの言葉に、今にも泣き出しそうな顔でスザクが微笑んだ。
「俺は・・・俺は・・・もう二度と、傷ついた君を見たくないんだ」
ルルーシュの肩口に再び顔を埋めて、祈りを捧げるようにスザクが呟いた。
懺悔のような苦しげな響きに、ルルーシュの胸が苦しくなる。
「君がずっと笑っていられる世界を、俺が作るよ・・・だから」
スザクが顔を上げて、肌が触れそうなくらい間近でルルーシュを見つめた。
澄んだ深翠の瞳の中に、自分の顔が映っている。
それがみるみる近づいて、互いの唇が触れ合った――――ほんの一瞬。
触れた唇に残された、灼けつくような熱さにルルーシュは思わず吐息を漏らす。
再びスザクの顔が近づいたその時、ただいま、という声が遠くで響いた。
ルルーシュはびくりと肩を震わせると、慌ててスザクの身体を押しのけて姿勢を正す。
間もなく、元気な声と共に小柄な少年がリビングへと駆け込んできた。
「ただいま兄さん!ごめんね、委員会が遅くなって・・・ああ、いらっしゃい、スザクさん!」
「おかえり、ロロ・・・今から夕飯を用意するから・・・なあスザクも食べていくだろ?」
うっすらと朱の差した顔を誤魔化すようにルルーシュが立ち上がる。
ソファに腰掛けたままのスザクは静かに首を振ってルルーシュを見上げた。
「今日はこれでおいとまするよ、仕事の途中でちょっと寄っただけだから」
「じゃあ玄関まで僕がお見送りするよ、借りたCDも返したいし」
ちょっと待ってて、と気安い口調で言い置いて、ロロが自室へと走る。
立ち上がったスザクに、ルルーシュが心配そうな顔で声を掛けた。
「・・・気を付けてな、スザク」
「ああ、またね・・・ルルーシュ」
まるで何事もなかったかのように、スザクがいつもの笑顔を浮かべて背を向ける。
廊下でロロの声が聞こえて、何かを話しながら二人の足音は遠ざかっていった。
リビングに誰もいなくなった事を確認して、ルルーシュはサイドテーブルに置いてあったノートパソコンを手に取る。ダミーアカウントを解除し、複雑な手順を踏んで画面を覗き込むと、一つのドキュメントファイルが画面一杯に表示された。
『黒の騎士団』と、『特区事件』の首謀者『ゼロ』について
昨日、夜遅くまで調べていた物――――それは、ブリタニア軍の機密情報だった。
『黒の騎士団』と『ゼロ』については統制が敷かれ、軍によって情報が厳重に管理されている。しかし、ルルーシュが本気でかかれば、そのような網をかいくぐるのもそう難しい事ではなかった・・・個人的な『記憶』は失われたものの、『知識』までなくさずに済んだ為である。
「やはり、公式発表とは色々と異なっているようだな」
ファイルに素早く目を走らせて、ルルーシュは低く呟く。
「詳細は不明、か・・・もっと深くまで潜らなくては・・・」
一年前の『事件』について、ルルーシュは独自に調査を行っていた。自分が巻き込まれた事件について真実が知りたいという好奇心はもちろん、何かに苦しんでいるスザクの力になれればいいと思ったのだ。イレブンに対して融和路線を取っていたユーフェミアの乱心、消えた『ゼロ』の行方、スザクの『ゼロ』に対する異常な執着・・・どうもこの事件には不可解な謎が多い。
「一年前・・・一体何が起こったのか・・・」
ルルーシュはただ真実が知りたかった。
命の恩人であり、記憶を失った自分に初めて出来た『友達』のために――――
長めの前髪を片手でかきあげると、ルルーシュはため息をついて再びファイルに目を走らせた。
エントランスへ続く廊下を歩きながら、前を歩くロロがスザクに問い掛けた。
「記憶回復の兆候は?」
「・・・確認できなかった」
「ほらね、報告通りでしょう?自分で確かめて満足したかい?」
スザクは答えずに険しい顔で前方を睨み付ける。
振り返ったロロが大仰な仕草で肩をすくめてみせた。
「残念そうだね、スザク・・・そんなに『兄さん』を殺したいの?」
「・・・『ゼロ』は、数々の大逆を犯した最低の犯罪者だ」
「そうだね、でも『彼』を生かしておいたのは君だろう?」
玄関の扉を開け放つと、人懐っこい笑みを浮かべてロロが一枚のデータCDを差し出した。
「はい、これ今回の報告」
スザクは少年の顔を冷たく一瞥すると、ひったくるようにしてCDを受け取る。
「罪を憎んで人を憎まず、っていうの?大変だね、『正義の騎士』って」
「・・・監視を続けろ。報告を怠るな」
「ここは君の統括区だもんね・・・イエス、マイロード。いつでもご命令を、閣下」
からかうような目線を無視して、スザクは足早に扉を抜けた。濃紺のマントが夜風に翻る。その背中に、楽しげな声が投げつけられた。
「ねえスザク!・・・『その矛盾は、いつか君を殺すよ?』」
かつての上司が語った台詞に、スザクの脚が一瞬止まって、再び歩き出す。
少年の嘲るような笑い声と共に、スザクの背後で重い鉄の扉が音を立てて閉じられた。
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08-01-21/thorn
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