Forgery




「皇歴1807年、ナポレオン率いる革命勢力に押されたエリザベス3世はエディンバラへ追い込まれた」

静かな教室に教科書を読み上げる教師の声が響く。
大きな窓からは暖かな光が差し込み、生徒達の中には居眠りをしている者もいた。

「捕縛されたエリザベス3世は、このときブリタニア公爵であったリカルド公の働きによって解放され・・・」

教師の声が一瞬だけ途切れ、教科書のページが一斉にめくられる。
頬杖をついてホワイトボードを眺めながら、スザクは机上に転がっているペンをつまみ上げた。
飾り気のない安物のボールペンが指の間を滑り、回転してはまた手中に収まる。
片手の指先でペンを器用に回しながら、スザクは目だけを動かして再び教室の様子を窺った。
ここにあるのは、どこにでもある穏やかな午後の授業風景だ――――危険は、ない。

「・・・スザク、」

隣から響いた控えめな声に、一定の調子で回転していたペンがぴたりと止まる。

「ペン、貸してくれないか・・・赤の」

スザクは無言で頷くと、手にしていたボールペンを差し出した。
男にしては細く、しなやかな手が伸びてペンを受け取る。
軽く手を上げて感謝の意を示すと、彼は再び手元の教科書に目を落とした。
几帳面に定規を使って赤い線を引き、何か小さく脚注をつけている。
真剣なその横顔を盗み見ていると、ベルが鳴り響いて授業の終わりを告げた。
次は小テストをやるぞ、という教師に生徒達の間から不満の声が上がる。

「ペン、ありがとう」

掛けられた言葉に、スザクは体ごと隣の席に向き直って、ゆっくりと笑みを浮かべた。

「どういたしまして・・・ルルーシュ」

書いている途中でちょうどインクが切れてしまってな、と苦笑してルルーシュがボールペンを差し出す。
受け取ったスザクは何かを確かめるようにプラスチックの表面を撫でた。
片手で軽く握り直すと、くるりと指先でペンを回転させる。
ルルーシュが感心したようにスザクの手元を覗き込んだ。

「上手いもんだな、それ」
「・・・ルルーシュなら、ちょっと練習すればすぐにできるんじゃないかな」
「いや、授業中に落として教師に睨まれるのが関の山だ」
「そうかな・・・ねえルルーシュ、聞きたい事があるんだけど」

口元に笑みの形を張り付かせたまま、スザクが静かに口を開いた。

「昨日の夜・・・きみは、どこで何してた?」

唐突な問い掛けにルルーシュが不思議そうな顔で首を傾げる。

「昨日の夜?それなら家にいたが・・・」
「家で、何をしていたの?」
「何って・・・チェスをしていたよ、それがどうかしたのか」
「誰と?」
「誰、って・・・」

畳み掛けるようなスザクの質問にルルーシュが顔を顰めた時、その背後から甘えた調子の声が響いた。

「昨日の夜は、僕とチェスをしていたんだよね、兄さん?」
「・・・ロロ、その学校でその呼び方はやめろと言ったろ」
「いいじゃない、照れることないだろ」

少年は人懐っこい笑みを浮かべてルルーシュの傍らに立つと、その片腕を軽く引いた。

「そんな事より兄さん、今日は日直じゃないの?早く地図を片付けてこないと、次の授業に間に合わなくなるよ」
「ああ本当だ、すっかり忘れてた」

ルルーシュは壇上に掛けられた世界地図に目を留めて、小さく肩をすくめる。
ロロと呼ばれた少年は後ろで両手を組むと、愛らしい仕草で小首を傾げた。

「次は移動教室だからね、僕とスザクで兄さんの教科書持っていってあげるから、早く片付けておいでよ」
「ありがとう、ロロ。すまないな、スザク・・・じゃあ」

ルルーシュは頷くと、踵を返して足早に壇上へと向かった。
壁に掛けられた地図を下ろし、手早く丸めて抱えるとそのまま教室を後にする。
スザクとロロは互いに無言のまま、その背中を見送った。
クラスの生徒達も談笑しながら次々と教室を出ていく。
すっかり人のいなくなった教室で、ロロがスザクを見下ろして笑いかけた。

「ねえ、スザク。ああいう風に兄さんに接するのはやめてくれないかな、まるで尋問みたいじゃない?」

椅子に腰掛けたまま、スザクは指先でペンを回し続けている。
俯いた顔に少しだけ伸びた前髪がかかり、その表情は隠されていた。

「兄さんね、きみの事をすごく気に掛けてるんだ。昨日もね、『最近スザクの様子がおかしい』、って」

口を閉ざしたままのスザクに向かって、舌足らずな口調でロロが続ける。

「それってさあ、『黒の騎士団』が・・・・・・『ゼロ』が復活したからじゃなくて?」

スザクの指がペンを弾き、音を立てて床に転がった。
あーあ、と少年が無邪気な声を上げて楽しそうに笑う。

「兄さんの事、疑ってるの?昔の事は何もかも全部、忘れてしまったというのに?――――貴様のせいで」

柔らかな微笑みを浮かべたまま、ロロが足元に転がったボールペンを踏みつけた。
安物のプラスチックがみしり、と嫌な音を立てる。

「成り上がりのイレブン風情が・・・ルルーシュに気安く触れるな」

スザクの耳元で、蔑みの言葉が甘く幼い声音で囁かれた。
微動だにせず、スザクが感情のない声で低く応える。

「今のは・・・皇帝陛下より『騎士』として任じられた俺に対する侮辱と取っていいのか」
「そうだね、こういうの侮辱罪って言うのかな・・・じゃあ僕を殺す?」

ルルーシュと同じ紫紺に輝く瞳を細めて、ロロがせせら笑った。
顎の下に立てた人差し指を添えると、媚びるような上目遣いでスザクを覗き込む。

「ブリタニアの騎士が命を掛けて守るべき、皇家の血を引く僕を・・・ナイト・オブ・ラウンズの一員である、きみが?」

明るい笑い声をあげて身を引くと、ロロはルルーシュの机から教科書を取り上げて胸に抱えた。
跳ねるような軽い足取りで戸口へ向かうと、椅子に掛けたままのスザクを振り返る。

「早くおいでよ、スザク・・・君が遅れたら、『兄さん』が心配するだろう?」

ひらりと手を振って、ロロの後ろ姿が扉の向こうへと消えた。
一人残されたスザクは、立ち上がって床に落ちたボールペンを拾い上げる。
ひびの入ったペンを見つめ、その跡をなぞるようにプラスチックの表面を撫でた。
そっと包み込むように指を折ると、そのまま手を強く握りしめる。
あっけないほどに脆くプラスチックが砕かれ、手の平に真っ赤なインクが滲んだ。
無惨な残骸をゴミ箱に放り投げ、スザクが怒りにたぎる瞳を上げて地を這うように呟く。

「・・・・・・ゼロも・・・ルルーシュも、俺のものだ・・・」


スザクの右手を汚した赤いインクが、じわりとその染みを広げた。



07-12-23/thorn