家 族 の 風 景




目の前に広がる鮮やかな花の絨毯、辺りに響く幼い子供達の笑い声。
――――花畑の入り口で、男はただ立ちすくんでいた。
「どうしたの?」
背後から女が尋ねる。
「いや、」
らしくもなく口ごもると、女は傍らに進み出て、面白そうに男の顔を覗き込んだ。
「怖がらなくても大丈夫よ、あなた」
「・・・なんだと?」
思いもよらない言葉に、男は片眉を上げて答える。それを見て態度を慎むどころか、女は楽しげに笑ってみせた。
「だってあなた、そういう顔してるじゃないの」
女はひとしきり笑うと、黙り込んだ男の前に躍り出る。
「この強大な帝国を統べる皇帝陛下ともあろう御方が、一体何を恐れているというのかしら?」
「何も恐れてなどいない」
「あら、そう」
男は目を細めると、女の肩越しに子供達を眺めた。二人の子供は子犬のように仲良くじゃれあいながら、花畑を走り回っている。何かを見つけたのか、足元を指して一人が立ち止まった。地面にしゃがみ込んだ二人は、顔を見合わせて嬉しそうに頷き合っている。
「あっ、父上!」
顔を上げてこちらに気付くなり、一人が目を輝かせて叫んだ。
「おとうさまぁ!」
舌足らずな声が続く。二人はこちらに向かって小さな手をいっぱいに振っている。
「ほら、子供達が呼んでるじゃない、シャルル」
ドレスの裾をつまむと、女は脇に退いて男の肩を叩いた。
「怖くないんでしょ?それじゃあ行ってあげなさいよ」
男のムッとした表情を気にした風もなく、女が茶目っ気たっぷりにウインクする。そこへ子供達が転がるように走ってきた。
「おとうさま、ねえ一緒に来て!おにいさまとすっごくいいものを見つけたの!」
「ナナリーと二人で四葉のクローバーを見つけたんです。摘んだ人の身を護るって・・・父上に持っていてほしくて」
頬を紅潮させて飛び跳ねる妹の隣で、弾む息を整えながら兄がしっかりとした口振りで言う。
「こっち、こっち!」
無邪気に笑いながら、子供達は両側から父親の大きく無骨な手を引いた。男は思わず、女を見返る。
「・・・マリアンヌ、」
穏やかな母の笑みを浮かべて、離宮の女主人は深く頷いた。太い眉をしかめながらも、皇帝と呼ばれる男は花畑に一歩を踏み出す。いつもの威風漂う歩き方ではなく、どこか戸惑うように。ゆっくりと、一歩ずつ。



「・・・怖がらなくても大丈夫」
花畑を進む父子の姿を見守りながら、残された女が呟く。
「人の願いは変わっていくものよ。あなたは何にも縛られず、自身の望みを選ぶ事が出来る・・・誰にも邪魔はさせないわ。そのために私がいるんだもの・・・ねえ、V.V.?」
女が目線を落とすと、そこにはいつの間に現れたのか、金髪の少年がじっと佇んでいた。
「君は『例の計画』を邪魔するつもりなのかい、マリアンヌ」
姿に似合わぬ大人びた口調で、少年は正面から女を見上げる。挑むような視線に対して、女はひらひらと手を振って見せた。
「とんでもない。ちゃんと誓ったでしょ、あの時。彼の願いを叶えるためなら何でもするって」
「・・・ナイトオブラウンズ、『閃光のマリアンヌ』、か」
かつて戦場で囁かれた二つ名を呼ばれ、女が不敵に口元を吊り上げる。
「そうよ。私は皇帝の騎士・・・盾となってあの人を守り、剣となって敵を討ち滅ぼす・・・それはね、全部あの人の幸せのためなの」
女は少年を見据え、強く誇らしげに宣言した。
「私は彼を心から愛してるわ。だからシャルルの願いを叶えて、彼を幸せにしてあげたいのよ」
気圧されたように、金髪の少年が女から目を逸らす。表情を和らげて、女は花畑の父子を遠く眺めた。足元ではしゃぐ小さな子供達を見下ろし、皇帝と呼ばれる男は落ち着かない様子で目線を彷徨わせている。くすくすと小さな笑い声を立てると、女は再び少年を見下ろした。
「あなたとシャルルは『例の計画』を望んでいる・・・それがたった一つの幸せだと信じて。でもね、幸せの形ってたくさんあるのよ?だから、私はたくさんの可能性を見せてあげたいの。その中で、やっぱりシャルルが『ラグナレクの接続』を望むと言うのなら・・・私は何を犠牲にしても、あの人の願いを叶える」
花々を優しく揺らして、ふわりと暖かな風が吹き抜ける。風の運ぶ微かな花の香りに、女は柔らかく微笑んだ。
「あの人はずっと色々な物に裏切られて、傷つけられてきた。だから見返りもなく愛されることに慣れていないのね・・・でも、人は誰でも変わることが出来る。何も恐れることはないわ。だって人は誰でも、自分の幸せを望んで、手に入れる権利があるんですもの。シャルルも・・・もちろん、あなたもね、V.V.」
少年の目の前に、白く細い手が差し伸べられた。少年が顔を上げて、そろそろと腕をもたげる。指先が触れようとした瞬間、花畑から愛らしい声が響いた。
「おかあさま!四葉のクローバー、こっちにたくさん見つけたの。早くきてぇ!」
瞬間、我に返ったように少年が腕を引き戻す。女は残念そうに肩をすくめると、子供達と夫に向かって大きく手を振った。
「はいはい、今行くわよ!」
青のドレスをつまんで、女は風のように少年の脇をすり抜ける。少年はのろのろと振り向いて、花畑で寄り添う親子の姿をぼんやりと眺めた。難しい顔で立ちすくむ男の足元で、母子はしゃがみ込んでクローバーを摘んでいる。
ざわりと音を立てて、今度は強い風が花畑を吹き抜けた。向かい風に髪をなびかせ、少年は一瞬、紫紺の瞳を見開く――――その目に映ったのは、男の微かな笑みだった。その微笑みは一陣の風と共に掻き消え、それに座り込む母子が気付いた様子はない・・・いや、本人ですら気が付いていないかもしれなかった。それほどの、微かな笑み。
(いけない、)
女へと伸ばした手を握り締めて、少年は薄い唇を噛み締める。
(・・・あの女は、いけない)
これまで抱えていた漠然とした不安が、はっきりとした確信に変わる。遠くない未来、あの女は自分からたった一人の弟を奪い去っていくだろう。シャルルが新しい家族を求め、共に生きることを望む・・・それは少年にとって、身震いする程の恐るべき未来であった。
(だって約束したんだ、僕は)
(シャルルと一緒に新しい世界を作るって)
「・・・誓ったんだ、嘘をつかないって。約束は守らなくちゃいけないんだ」
もし『例の計画』が実行されなければ、自分はたった一人きりで永遠の時を歩むことになる。少年は震える両手で自らを抱きかかえた。
(二人だけの約束なんだ)
(だからあの女も、子供達も)
「・・・消えてもらわないと」
低く吐き捨てると、少年は声を立てずに笑う。そして独り、踵を返して花畑に背を向けた。聞こえてくる、明るい笑い声に耳をふさいで――――



09-06-13/thorn