ゆ め の た ん じ ょ う び





――――薄闇が辺りを包む初夏の夕暮れ。
定時で『仕事』を終えたスザクは、学制服姿でクラブハウスの玄関に立っていた。手元の時計で時間を確認すると、服のしわを整えて背筋を正す。一呼吸置くと、スザクは緊張気味に呼び鈴を押した。
「こんばんは、ルルーシュ、ナナリー。約束通り、遊びに来たよ」
「よく来たな、スザク!入ってきていいぞ、ナナリーとダイニングにいるから」
聞き慣れた親友の声に、スザクはホッと息をつく。
7月10日・・・今日はスザクの誕生日だ。
7年ぶりだというのに、ルルーシュとナナリーはちゃんと誕生日を覚えていてくれた。しかも、スザクのために誕生会を開いてくれるという。誰かに誕生日を祝ってもらうなんて、一体何年ぶりの事だろう。
スザクは鍵の掛かっていない扉を押して、クラブハウスの中に足を踏み入れた。なぜか玄関ホールには明かりがついておらず、ひっそりと静まりかえっている。首を傾げつつ辺りを見渡すと、薄暗いホールの中で明かりの漏れる一角があった。確かダイニングルームがある場所だ。以前訪問した時の記憶を辿りながら、スザクは光の方へと足を向けた。
「ルルーシュ、ナナリー、いるの・・・?」
おそるおそる呼び掛けながら部屋の入口に立つと、その瞬間、パーンと派手な破裂音が鳴り響いた。目をしばたかせるスザクの上に、色とりどりの紙吹雪が降り注ぐ。
「スザク、誕生日おめでとう!」
「スザクさん、お誕生日おめでとうございます!」
目の前には、ランペルージ兄妹が手にクラッカーを持って微笑んでいる。
心のこもった誕生祝いの言葉に、スザクは満面の笑顔で礼を告げようとして・・・そして、固まった。
「ありがとう!ルルーシュ、ナナリー・・・って、えええええええ!?」
「ん?どうしたスザク」
「どうしたもこうしたも・・・二人とも、どうしたの!?その格好!」
震えるスザクの指先には、素肌の上にエプロン一枚を身につけたルルーシュとナナリーが佇んでいる。スザクの奇声に、ルルーシュはフリルのついた薄紫のエプロンの裾を摘んでみせた。
「ああ、これか!今日はスザクの誕生日だから、日本の伝統衣装で祝ってやろうと思って」
兄と色違いでピンクのエプロンを付けたナナリーが恥ずかしそうに頬を染める。
「ミレイさんが教えてくださったんですよ。スザクさんが喜ぶからって」
「ミ、ミレイさん・・・」
スザクは拳を握りしめて、わなわなと体を震わせた。確かに喜ぶべき状況ではある。シチュエーション的には完璧だ・・・だがしかし!何も知らない、いたいけな兄妹をこんな風に騙すのは絶対によろしくない。
――――とスザクは理性を総動員させて己の高ぶりを押さえこんだ。難しい顔で唸っているスザクを前に、ナナリーが不安そうに眉根を寄せる。
「あのうスザクさん・・・実は私たち、下に水着を着ているんですけれど・・・それはやっぱり邪道なのでしょうか・・・」
ルルーシュがどこか申し訳なさそうに俯く。
「おまえが気に入らないのも無理はない。本来は裸で羽織るのだと聞いたのだが、ナナリーが風邪をひいてしまうし・・・どうかこれで勘弁してほしい」
「ええっ!?いや・・・いいよ水着で!むしろ全然・・・っ!」
ホッとしたような、ちょっぴり残念なような、複雑な気持ちでスザクが叫ぶと、兄妹は安堵したように笑顔を浮かべた。
「それにしても日本のお誕生日って変わってるんですね、スザクさん」
「日本人は裸で親交を深めるんだろう?セントウとかスモウとか」
「はは・・・まあ・・・ねえ・・・」
ミレイの冗談を完全に信じ込んでいる二人に、今更事実を告げるのも気が引ける。笑ってごまかしたスザクに、ルルーシュが中央の椅子を引いて着席を促した。
「とにかく席につけよ。今日はおまえの好きな物をたくさん用意したんだから」
「うん、ありがとう。それにしてもすごいな、これ・・・!」
テーブルの上に目を移し、スザクは改めて感嘆の声をあげた。食卓には、スザクの好物ばかりが山のように並べられている。スザクが席に着くと、その両隣にルルーシュとナナリーがぴったりと寄り添って座った。
「じゃあ、ナナリー」
「はい、お兄様」
ルルーシュが小さく切り分けたハンバーグをフォークにさし、ナナリーの手に持たせる。そのまま食べるのかと思いきや、ナナリーはふわりと微笑んで、スザクの前にフォークを差し出した。
「はい、スザクさん。あーん、してください」
スザクはぽかんと口を開けた。
一瞬呆けた後、慌てて口を閉じ、ナナリーの手をそっと押しとどめる。
「な、ナナリー・・・いいよ、そんな・・・ちゃんと自分で食べられるから」
「えっ?でも日本のお誕生日では、自分でご飯を食べてはいけないんでしょう?」
愛らしいピンクのエプロンを付けたナナリーが、不思議そうな顔で首を傾げた。スザクを挟んだ反対側で、腕組みをしたルルーシュが重々しく頷く。
「日本の伝統的な誕生会では、この衣装を着て、好物を食べさせてやるのだと聞いたぞ?」
「はあ!?一体誰がそんな事を・・・」
「ミレイさんです」「ミレイ会長だ」
「あ、あの人は・・・!」
予想通りの答えに、スザクが脱力してテーブルに突っ伏す。嬉し泣きでもしていると思ったのか、ルルーシュが満足そうにスザクの肩を叩いた。
「遠慮することはない、今日はおまえの誕生日なんだから」
「はい、スザクさん、あーん!」
嬉しそうに料理を差し出すナナリーに負けて、スザクは自棄になってハンバーグにかぶりついた。エプロンの裾からのぞく白い脚が艶めかしい。焦って目を逸らすと、スザクは天井の一点を見つめてハンバーグを咀嚼した。
「スザクさん、おいしいですか?」
「・・・うん、美味しい!ものすごく美味しい!」
「お兄様が作ってくださったんですよ。私もお手伝いしたんです」
自慢の兄の料理を褒められ、ナナリーの笑顔が広がる。つられて微笑むスザクの顔に、横からすっと手が伸びて柔らかい布地が口元に触れた。
「ほら、ソースがついてるぞ」
ルルーシュが白いナプキンでスザクの口元を丁寧に拭う。端正な顔が近づいて、深い色を湛えた紫の瞳がごく間近でスザクを捉えた。
「昔から変わってないな、こういうところは」
「う・・・ル、ルルーシュ・・・」
「さ、どんどん食べろ。まだたくさんあるんだから」
息をのむスザクに気付いた様子もなく、ルルーシュは料理が盛られた皿を手前に寄せる。
「次は何にします?スザクさん」
「こっちも食べろよ、スザク」
ランペルージ兄妹は笑顔を浮かべながら、スザクの前に好物を差し出す。そのたびにエプロンから覗く二人の滑らかな手足が目に入って、スザクはめまいを感じて額をおさえた。これでは味がわかったものではない。
「どうしたスザク」
「・・・いや、なんだかちょっとクラクラしちゃって」
苦笑するスザクの隣で、ナナリーが心配そうに顔を曇らせる。
「スザクさん、お仕事でお疲れなのではありませんか?今日はこのまま泊まっていけるんでしょう?」
「ああ、うん。明日は非番だし大丈夫だけれど」
「じゃあ今日は久しぶりに三人で一緒に寝ませんか」
「へ?」
「そうだな、昔みたいに・・・今日はスザクを挟んで一緒に寝ようか」
「ええっ、で、でもナナリーももう中学生だし、それに・・・」
楽しそうに話を進める二人に、しどろもどろでスザクが言い募る。確かに昔は三人で一緒に眠った事もあった。だが今はもうナナリーも中学生の女の子だ。いくら幼なじみとはいえ、さすがに許されない年齢なのではないだろうか。加えてちょっと『気になる』親友も一緒である。7年前はよくわかっていなかったが、今は自分の気持ちが友人の域を越えるものだと自覚している。そんな二人に挟まれて一夜を過ごすなど、スザクにとってはある意味拷問に等しい行為だ。
「大丈夫ですよ、スザクさん。私、寝相はいい方だと思います・・・ねえお兄様」
「ああ。俺のベッドは広いし、心配する事はないぞ?」
「いや、そうじゃなくてあのさ・・・」
にこやかに迫る二人に向かってスザクが手を振った瞬間、片肘がテーブルの上のグラスに当たった。がちゃん、という音と共にグラスが倒れ、なみなみと注がれていたジュースがテーブルを伝っていく。いつもの反射神経はどこへやら、スザクがあたふたしているうちに、ジュースは膝上に流れて染みを作った。
「うわっ、ご、ごめん!」
「大丈夫ですか、スザクさん」
「気にするな、今拭いてやるから」
ルルーシュがナプキンを手にスザクの膝を押さえる。乗り出した姿勢からエプロンの胸元が開いて、白い素肌がちらちらと垣間見えた。もちろん下は水着とはいえ、なかなか刺激的な光景だ。スザクはごくりと唾を飲み込んだ。
「ああ、これは染みになってしまうかもしれないな。とりあえず脱げよ、洗濯しておくから。ついでにシャワーを浴びて来たらいい。着替えは俺のでもいいよな?」
「あ、うん、じゃあお風呂借りるよ・・・ホントごめんっ!」
顔を上げたルルーシュに、目のやり場のなくなったスザクは逃げるようにその場を後にした。



  *  *  *



「まったく会長はあの二人に何を教えてるんだろう・・・風紀委員として、後でちゃんと注意しておかなきゃ」
シャワールームに着くと、スザクはぶつぶつと独り言を呟きながら、手早く服を脱いだ。カーテンを引いてコックをひねると、降り注ぐシャワーと共に白い湯気が立ち上る。頭から熱い湯を浴びながら、スザクは大きな溜息をついた。
「それにしても、ルルーシュも変なところで素直なんだから・・・もし余所であんな格好したらどうなるか・・・」
それこそ、あっという間に襲われてしまうに違いない。かく言う自分だって、相当ギリギリの状態だ。ふとルルーシュのあられもない姿が脳裏に浮かんで、スザクはぶんぶんと頭を振った。
「ダメだ、間違った方法で手に入れた結果に、価値があるはずないじゃないか!」
「・・・何が間違った方法なんだ?」
「うわあっルルーシュ!?」
妙な妄想が広がりそうになった瞬間、その本人から声を掛けられてスザクは跳び上がった。
「着替え、ここに置くぞ。あとこっちは洗っておくから」
シャワーカーテンの向こうでルルーシュの影が揺らめいている。どきどきと早鐘を打つ心臓をなだめながら、スザクは上擦った声で礼を告げた。
「ありがとう、ルルーシュ。ええと、ごめん、さっきは・・・」
「いいって、仕事で疲れてるんだろ?今、背中流してやるよ」
「へ・・・?いや待って、それは・・・」
制止する間もなく、ルルーシュがカーテンを引いてバスタブ内に入ってきた。突然の事に、スザクは思わず顔を引きつらせる。
「うわっなんでいきなり・・・!?」
「いいじゃないか別に。今日はおまえの誕生日なんだから、王様気分にさせてやるって」
蒸気が立ちこめたシャワールームの中で、ルルーシュが鮮やかに微笑む。後ろめたい気持ちから、スザクは後退って作り笑いを浮かべた。
「べ、別にいいよ、そこまでしなくても・・・」
「なんだよ、何を恥ずかしがってるんだ?昔はよく一緒に風呂入っただろう?」
スザクの余所余所しい態度に、ルルーシュが不審そうに顔を顰める。確かに、幼なじみである彼に対して、ここで頑なに遠慮するのは不自然なのかもしれない。スザクは煩悩を振り払うと、気を取り直して背中を向けた。
「・・・じゃあ、悪いけどお願いしようかな」
「ああ」
背後でボディソープを泡立てている音がして、濃厚な薔薇の香りがシャワールームに広がる。やがて背中にふんわりとした上質な泡と柔らかな感触が滑った。その感触に、スザクはぴしりと凍り付く。
「ちょっ・・・えっとルルーシュ?」
「うん?」
「あの・・・なにやってるの、かな・・・」
「なにって・・・背中を流してるんだろ、おまえの」
不思議そうなルルーシュの声が耳元で響く。前を向いて固まったまま、スザクは再び問い掛けた。
「いやあのさ、タオルじゃない、よね・・・今のって」
「ああ、素肌で洗うんだろう?こういう場合は」
「・・・・・・はあ!?」
ぎょっとして振り返ると、ほのかに赤く頬を染めたルルーシュが上目遣いでこちらを見上げている。しっとりと濡れた黒髪、潤んだ紫の瞳、頬を伝うボディソープの白い液体――――そして密着した熱い身体。
「その方が絶対スザクが喜ぶって会長が・・・」
「うわああああああ、ルルーシュ!!!!」
うっとりと微笑むルルーシュに限界を感じて、スザクは頭を抱えて絶叫した。



  *  *  *



「・・・・・・おい・・・スザク・・・スザク・・・」
そっと肩を揺らす手と自分の名を呼ぶ声に、スザクは眠りの底から意識を取り戻した。睡魔にひかれて微睡んでいると、今度はぺちぺちと軽く頬を叩かれる。
「ほら、いいかげん起きろって」
うっすらと目を開けると、紫紺の瞳が間近でスザクを覗き込んでいた。
「うう・・・ん、ルルーシュか・・・」
「うなされてたけど大丈夫か、おまえ」
「ああ・・・」
「ここで居眠りもいいけど、今日は午後から『仕事』なんだろう?遅刻するぞ」
ファイルの束を片手に、ルルーシュは横になっているスザクを呆れたように見下ろす。ゆっくりと身を起こせば、見慣れた調度品が視界に映った。どうやら生徒会室のソファで寝入ってしまったようだ。
「ああ、そうだった・・・起こしてくれてありがとう」
寝ぼけ眼で顔をこすると、スザクは大きく伸びをした。いつもはすこぶる寝起きが良いのだが、今日はひどく体が重い。何だかとんでもない夢を見ていたような気がするのだが、内容はまるで思い出せなかった。
「それで、今日は『仕事』を定時で抜けられるんだったよな?」
「え、ああ、うん・・・」
「じゃあ約束通り、夜はナナリーと二人でおまえの誕生パーティを開くから、クラブハウスに寄ってくれ」
ソファにゆるく腰掛けるスザクをルルーシュが中腰で覗き込む。その肩越しに、長机の上に置かれた紙袋が見えた。倒れた紙袋から少しだけ覗いているのは、どこかで見かけたことのある、薄紫とピンクの可愛らしいレースのエプロン――――
「今日はおまえのために色々準備して待ってるからな、スザク」
そう言ってルルーシュは今までに見たこともないくらい綺麗に笑った。




07-07-14/thorn
09-02-09(revised)/thorn