す き き ら い




放課後。
いつものように生徒会室へやって来たルルーシュは、扉を開けた瞬間、足下に転がる物体を目にして固まった。
「・・・・・・・・・なにやってるんだ、おまえ」
「なにって・・・アーサーと遊んでるんだけど」
下から見上げる形でスザクがごく真面目に応える。
猫用のおもちゃを手に、匍匐前進の要領で子猫ににじり寄るスザクと、警戒心もあらわに毛を逆立てているアーサー。
これは遊んでいるというより――――
「遊んでるって言うより、一方的に追い回してる、って言うのが正しいわね」
静かな口調でさらりと辛辣な意見を述べるのはカレン。
「逃げられてばっかりなのに一途だねえ、スザクは」
積み上げられた書類を前にリヴァルがあくびをかみ殺す。
「本人は一途なつもりでもねえ・・・しつこい男は嫌われるわよ」
ティーカップを傾けながら意味ありげに微笑むミレイに、リヴァルがぎょっとしたように振り向いた。
そんな外野のやりとりを気にも留めず、スザクは猫じゃらしを揺らして、アーサーの気を引くのに必死である。
「こういう時は同じ目線に合わせるといいって言うから、さっきからこうしてるんだけど・・・おいでアーサー、怖くないよ」
いやそれは子供への接し方であって、猫にとっては敵対意志を表すのでは、とルルーシュが指摘する暇もなく、子猫が威嚇の鳴き声を上げた。スザクの脇を猛然と走り抜けて、身軽に本棚の上へと駆け上がる。ああっと悲壮な声をあげて、スザクがその後を追った。腹這い状態からの立ち上がりが異常に早いのは、軍での基礎訓練の賜物であろうか。ルルーシュは思わず額を押さえ、生徒会室の扉を閉めた。あまり外部には晒したくない光景である。
「それにしても、アーサーってスザクくんには全然懐かないわね」
わりと人懐こい猫だと思うんだけど。本棚の上に手を伸ばそうとしているスザクを眺めながら、呆れたようにカレンが呟く。
「うーん、どうしてだろう・・・嫌われるような事、したことないんだけど」
「おまえが気が付いてないだけじゃないのか」
心底不思議そうに首を捻るスザクに、窓際の椅子に腰掛けたルルーシュがからかい半分に言い放つ。ひどいなルルーシュ、と笑いかけたスザクの顔が固まった。見れば、またも手をアーサーに食いつかれている。痛みに呻くスザクに、勝ち誇ったような子猫の鳴き声が応えた。その光景に笑いを堪えながら、ミレイが手にしたペンの先でスザクを指す。
「スザクくん、実は苦手なんじゃないの、動物とか」
「え?」
懲りずにアーサーを撫でようとしていたスザクが、動きを止めて振り返る。
「『好き嫌いは良くない』、なーんて、無理矢理近づいてない?動物って、そういうのわかるって言うし」
「そんなこと、ありませんよ」
少しとまどったような微笑みを浮かべてスザクが首を傾げる。
「そうだなあ、スザクから嫌いなものって聞いた事ないもんな」
俺なんていっぱいあるけど、とリヴァルが口をとがらせる。
「物理は頭痛くなるから嫌いだし、文学のミセス・ハーネットは毎回宿題ばっかりでうるさくて鬱陶しいし・・・あと歯医者とか。それからピーマンだろ、タマネギだろ、ああセロリは死んでも食えないな。絶対我慢できない」
すかさず、好き嫌いは良くないよ、とスザクが真顔で諫める。
「ほーらやっぱり言うと思った」
肩をすくめるミレイに、さすが天然、とリヴァルが絶妙な合いの手を入れて、生徒会室に笑い声があがった。ルルーシュも笑う。しかし、このささやかな日常を楽しむ一方で、もう一人の自分が冷静にスザクを見つめていた。
―――― そう、スザクは『好き嫌い』が、いや『嫌い』なものがない。
食べ物はもちろん、どんな人間にも、物事にも不満を漏らさない・・・少なくとも今のスザクは。7年前はこうだったろうか?
生徒会に入ったことで『名誉ブリタニア人』に対する逆風はだいぶ収まったが、未だに差別的な言動や陰湿な嫌がらせを続ける者は後を絶たない。だがスザクはそれに反抗する事も、非難の声を上げる事もなく、黙々とそれに耐え続けた。事の理不尽さに激高するのはいつもルルーシュの方であった。
『また現場を押さえたんだろう?何故そのまま解放したんだ、一度殴ってわからせればいい!』
『それはできないよ。僕は軍で訓練を受けているし』
『そういう問題じゃないだろう!こんな風にやられっぱなしで・・・頭に来ないのか、お前は!』
『彼らを殴っても何も解決しないよ』
『じゃあずっと我慢すればいいって言うのか!?そもそもブリタニアが、』
『今の状況は確かに残念だけれど・・・でもブリタニアを憎む気持ちはないよ』
スザクはルルーシュの目を正面から見返して、はっきりと言葉を繋いだ。
『復讐しても、またそれが繰り返されるだけだろう?だからどこかでそれを止めなくちゃいけないと思うんだ』
だから大丈夫、僕は我慢できるよ。
そう言って笑うスザクに、ルルーシュはそれ以上何も言えなくなる。
スザクの言うことは正しい――――正しいと思う、けれど。
本当に、誰も憎まないでいられるのか?
故郷を焼かれ、家族も友人も失い、日本人としての誇りさえも奪われ、貶められる日々。
それでもなお、何も憎まず、誰も恨まずにいられるのだろうか。
まるで絵画の聖人のような、慈悲に満ちた微笑みを浮かべてスザクが手を差し伸べる。
『それに君もブリタニア人だろう?だから、僕は、』
(ブリキ野郎め!日本人を、なめるな!)
脳裏に蘇る嫌悪と憎しみの眼差し。
本当は、本当の、お前は――――

思考に沈んでいたルルーシュの目前を、突然、灰色の影が横切る。
ルルーシュは思わず驚きに身を震わせた。膝元に心地よい重みが加わる。
「・・・アーサー」
飛び込んで来た灰色の子猫はルルーシュを見上げて、甘えた声で応えた。
指で喉を撫でてやると、気持ち良さそうに身をすりつけ、そしてそのまま蹲って丸くなる。
どうやらルルーシュの膝でうたた寝を決め込むことにしたようだ。
猫は、好きだ。
しなやかで、美しく、自由で気高い――――ああ今、自分は何について考えていた?
「本当に、好きなんだけどね、僕は」
いつの間にか傍らに立ったスザクが、ルルーシュの膝元を覗き込んで笑った。
ルルーシュの大好きな、曇りのない鮮やかな笑顔で。



07-01-26/thorn
07-04-30(revised)/thorn