し あ わ せ な 食 卓




「もう料理の下ごしらえは済んでるんだ。すぐに出来るから、テレビでも見ながら適当に待っててくれ」
渡した軍服の上着をハンガーに通しながら彼は言った。
「・・・なんだか悪いな。借りたノートを返すだけだったのに、夕飯までご馳走になるなんて」
心底申し訳ない気持ちで呟くと、彼はこちらを振り返ってふわりと微笑む――――普段は人に見せない、優しい表情だ。
「気にするなよスザク。疲れているんだろう、とにかく座れよ」
「ありがとう、ルルーシュ」
柔らかなソファに腰を下ろすと、一日の疲れがどっと押し寄せてくる。首に絡みつくネクタイを緩めて、スザクは軽く息をついた。それを見て、ルルーシュが心配そうに眉を寄せる。
「・・・忙しいのか、仕事」
「まあね、特区の設立まで一ヶ月を切ってるから」
「そうか・・・」
「あっ、でも心配しないで!準備もすごく順調にいってるんだ」
「そうか、それは良かった」
ラックにハンガーを掛けながら、ルルーシュは口元に柔らかな笑みを宿す。几帳面な彼の性格らしく、ハンガーに吊られた特派の制服は皺にならないよう、きちんと整えられていた。
「あれ、そういえば今日ナナリーは?」
「会長が突然『女の子だけのお泊まり会』を提案してな・・・今日はシャーリー達と一緒にアッシュフォードの方にお世話になってる」
ルルーシュは苦笑いを浮かべながら、スザクに向かって軽く肩をすくめてみせる。
「なんでも『女の子だけの秘密のお話』があるそうだ」
「・・・なるほど」
心底呆れたような口調にスザクが吹き出した。
「そのおかげで僕はご馳走にありつけるわけだ」
「おいおい、別に余り物を食べさせようと思って呼び止めたわけじゃないぞ?」
「やだな、変な意味で言ったんじゃないって。最近バタバタしてて出来合いの物ばかり詰め込んでいたからさ、ルルーシュのご飯は本当にご馳走だよ」
無邪気に笑うスザクを前に、ルルーシュがそっと目を伏せる。
「『行政特区日本』、か・・・本当に大変そうだな」
どこか不安そうな友人の様子に、スザクは明るい表情で身を乗り出した。
「準備は色々大変だけど、特区が完成すればみんなが自由に暮らせるんだ。とにかく頑張って、絶対成功させないと!」
「・・・そうだな。上手くいくといいな」
顔を上げると、ルルーシュはスザクと顔を見合わせて笑みを交わした。
「さて・・・じゃあ俺は夕飯の支度をしてくる。ちょっと待ってろ」
簡素なエプロンを身に着けると、ルルーシュはキッチンへと消える。後ろ姿を見送って、スザクは再びソファに身を預けた。テーブルの上のリモコンを手に取ると、何の気なしにテレビをつける。液晶モニタの大画面に、夕方のニュース特集が流れ出した。
――――来月の設立を控え、行政特区日本・式典会場の工事が急ピッチで行われています。会場は今月末に完成する予定で・・・』
工事中の式典会場に続いて、ユーフェミアの映像が映し出された。画面を彩る晴れやかな笑顔に、スザクの顔も自然とほころぶ。ユーフェミアの『行政特区日本』は素晴らしい政策だった。行政特区の中で、イレブンは「日本人」の名前を取り戻す事が出来る。さらに特区内では差別政策も緩和され、皆が自由に暮らせるのだ。そのためには、まず行政特区での市民登録をしなければならない。
ゲットーでは「名誉ブリタニア人」になる事を拒絶した人々が、廃墟の中で細々と暮らしている・・・その総数は軍においても把握できていない。彼らに行政特区の利点を説き、なるべく多くの人に参加してもらう必要がある――――強い決意を胸に、スザクは膝に置いた手を強く握り締めた。貧しく苦しい生活が現状への不満となり、レジスタンスによる破壊活動をさらに激化させるのだ。行政特区に参加すれば、ゲットーに比べて遥かに快適な生活を送ることが出来る。それはきっと、彼らの幸せにも繋がるはずだ。
スザクが考え込んでいるうちに、テレビの映像が切り替わった。色鮮やかなタイトルが中央に浮かび、背景に巨大な建物が映し出されている。新人らしき女子レポーターが、マイクを片手に生き生きとタイトルを読み上げた。
『こんばんは!直撃、特産地のコーナーです。今日は皆さんの食卓によく登場する、鶏肉についてお伝えします。みなさん、こちらの近代的な建物・・・何の施設だと思いますか?実はこれ、このエリア11で最新の設備を持つ養鶏場なんですよ。それでは早速お邪魔してみましょう!』
レポーターが建物へと向かう映像に続いて、今度は施設内部の様子が映し出された。外観同様、屋内も整然として美しく、とても養鶏場とは思えない有り様である。テレビカメラが大きなシャッターを抜けると、人工砂が敷き詰められた広場に無数の鶏たちが放し飼いになっていた。屋内にも関わらず空は青く、温かな光が降り注いでいる。普通の鶏舎にあるような、狭いケージはどこにも見当たらない。
『すごいですね!一体どれぐらいの鶏がいるんでしょう?』
再び画面に現れたレポーターが興奮気味に叫ぶ。衛生のためなのか、白い防護服のようなものに身を包んでいた。
『ここでは常時、約15万羽のブロイラーを飼育しています』
レポーター同様、白い防護服を着た男が歩きながら丁寧に説明する。画面の下に責任者として男の名前が紹介された。
『15万羽ですか!』
『はい。最新のコンピュータシステムで管理しているので、一羽ずつ、もっと細かいデータもわかりますよ』
驚いたようなレポーターの声に、責任者の男が大きく頷いてみせる。
『ここでは生体チップを埋め込んで鶏の管理を行っています。従来のようなケージで飼うより肉も引き締まっていますし、鶏たちもストレスがなく健康です。このシステムを導入した事によって、従来のケージ飼いと同規模の大量生産が可能になりました』
『鶏に埋め込まれている生体チップとは、一体どういうものですか?』
『生体チップはそれぞれ個別の識別データを持っています。安価な上、熱処理で分解が可能ですから、食品の安全性にも問題ありません。コンディションの悪い鶏についてはシステムで察知して、すぐに取り除くことが出来ます』
今度は無数のコンピュータシステムが映し出された。白い防護服を着た人々がゆったりと動き回り、アラートの出た画面を覗き込んでは操作を行っている。
『家畜の伝染病などを未然に防ぐということですか。すごいですね!』
無機質なコンピュータ画面の中で、鶏たちはのんびりとエサをついばんでいる。漂白したように真っ白な羽がスザクの目に焼きついた。
「すごいなあ、これ」
「・・・どうした?」
独り言を呟いたスザクに、テーブルをセッティングしていたルルーシュが声を掛ける。
「テレビのニワトリの話。ちゃんと管理して放し飼いにしてるんだって」
後ろを振り向かないまま、スザクが答えた。テレビ画面の中では、女性レポーターが逃げる鶏を抱き上げようして右往左往している。スタッフの間から軽い笑い声が上がった。
「いいよね、こういうの。ケージに押し込められたニワトリって、なんだか嫌だったしさ」
「なんで嫌なんだ?」
「なんでって・・・可哀想だろう?狭くて汚い所でギュウギュウ詰めにされてさ。自由に動き回れる方がいいに決まってるじゃないか」
「・・・おまえ、本気で言ってるのか?」
鮮やかなテーブルフラワーを中央に置いて、ルルーシュが薄く笑う。
「自由も何も、それはニワトリの事を考えているわけじゃない。狭いケージだろうが広い農場だろうが、結局食肉になるんだからな」
「・・・それはそうだけど、」
「まあ、そんな事はいいから席に着けよ。もう出来たから」
ぼんやりとテレビを見ているうちに、食事の用意はすっかり整っていたようだ。ソファに沈み込んだ身体を勢いよく起こして、スザクはすすめられた椅子に掛けた。テーブルの上には花が飾られ、真っ白なテーブルクロスの上には磨かれたナイフとフォークがシャンデリアの光にきらめいている。食卓には温めたポタージュ、こんがりと焼けたパン、みずみずしい野菜サラダ、小さく刻んだ野菜のピクルスが所狭しと並んでいた。
「わあすごい、やっぱりご馳走だ!」
感嘆の声を上げるスザクの鼻を、肉の香ばしい匂いがくすぐった。白く透き通るような手がメインディッシュの一皿を運ぶ。
「あ、これ・・・」
「そう。鶏肉のソテー、赤ワインソースだよ」
スザクを見下ろす紫紺の瞳が歪んで笑みの形に細められる。
「さあ、召し上がれ」
「・・・いただきます」
スザクが皿の鶏肉にナイフを突き立ててると、肉汁と共に赤ワインのソースがどろりと染み出す。濃厚なソースがまるで流れ出す血のように見えた。
「それ、さっきテレビでやっていた鶏肉を使ったんだ。本当に美味しいんだよ」
正面に腰掛けたルルーシュが、両手を組んで楽しそうにスザクを眺める。
「おまえは食べる側で良かったな、スザク」
目の前に座る親友が一体どんな顔をして笑っているのか――――スザクは顔を上げることも出来ずに、ただ俯いて肉の味を噛み締めていた。



09-05-26/thorn