闇に浮かぶ松明の明かりが回廊を薄く照らし出す。
石床の上に延びる自らの影を踏みつけ、ルルーシュは謁見の間を目指した。
乾いた靴音が冷たい石造りの回廊に木霊する。
普段なら諸処からの謁見者で賑わうこの回廊も、今は人影もなく、静寂に支配されていた。
久方ぶりに訪れるアリエス宮は記憶の中のそれと寸分違わず、まるであの日の自分に還ったかのような錯覚を起こさせる。
七年前のあの日、母を失った悲しみと妹を守れなかった悔しさ、そして父への怒りを抱いて通った、この道。
重く閉ざされた扉の前に立ち、ルルーシュは祈るように目を閉じた。
――――とうとう帰ってきたのだ、この場所に)
謁見の間に続く扉を開け放ち、ルルーシュはあの日と同じように、ゆっくりと血の色に染められた絨毯の上を歩き出した。









男はただ一人、現れた闖入者に全く動じる事なく玉座に座っていた。
明かりのついていない広間の中で、奥に位置する玉座の周りだけが不思議な燐光を放っている。
一段高い場所から自分を見下ろすその男に、ルルーシュは手にした銃を向けた。
頭部を覆い隠していた仮面を空いた手で外すと、そのまま床に投げ捨てる。
顕わになった紫紺の瞳に憎しみを滾らせ、ルルーシュは低く男に呼び掛けた。
「お久しぶりです、父上」
青白い光の中に浮かび上がった壮年の男――――第98代ブリタニア帝国皇帝はつまらなそうにルルーシュを一瞥する。
その容貌は七年前と比べても全く衰えておらず、誰もいない宮殿にあっても皇帝としての威厳が損なわれたようには見えなかった。
「ブリタニア帝国は弱者を虐げ、差別し、罪なき多くの人々を戦渦に巻き込んだ」
ルルーシュは噛みしめた唇を解き、冷静を装って審判の声を上げる。
「陛下、貴方にはここで、その罪を償って頂きます」
苦々しい口調で断罪するルルーシュを、皇帝は表情を変えずに眺めている。
それどころか、向けられた銃口に恐怖の色も見せず、久方ぶりの息子との再会にも全く興味を示した様子はない。
ルルーシュはこれまでの苦難を思い返し、無反応の父親にぎりぎりと歯噛みした。
「・・・何か言ったらどうなんだ、この外道が!貴様のせいで大勢死んだんだぞ!」
広大な広間に響き渡るような怒声にも関わらず、皇帝は眉一つ動かさず、ただ黙して玉座に座っている。
「そうか、今更言い訳の言葉もないということか」
ルルーシュは込み上げる怒りを押さえ、余裕ある態度を繕って顔をあげた。
「・・・母を見殺しにし、俺たち兄妹を捨てた罰だ――――死ね」
指が迷いなく銃の引き金にかかる。


広間に銃声が響いた。


カラカラと乾いた音を立ててルルーシュの銃が床に転がる。
右肩に燃えるような熱さを感じ、咄嗟に手で押さえると激しい痛みが走った。
手の平にじわりと濡れた感触が伝う。
痛みを堪えて顔を上げると、並んだ柱の影からゆっくりと歩み出る影があった。
ルルーシュは、流麗な騎士の礼装を纏ったその男を呆然と見つめる。
よく見知った男の手には白く硝煙を上げる銃が握られていた。
「・・・・・・スザク・・・何故おまえがここに・・・」
「僕は、ブリタニアの騎士だ」
いつもは穏やかな色を湛えている深翠の瞳も今は光を映さず、暗く澱んでいる。
「皇帝陛下をお守りし、反逆の徒を薙ぎ払う・・・それが僕の『役目』だ」
「おまえは、まだ・・・!」
「控えろ、ゼロ」
仮面をつけていない素顔のルルーシュに向かって、スザクは『ゼロ』と吐き捨てるように言った。
冷たい響きにルルーシュの表情が凍り付き、その身を強ばらせる。
「皇帝陛下の御前である・・・跪け」
劇鉄を起こす鈍い音に続いて、広間に再び銃声が響いた。
スザクは氷のような眼差しでかつての親友を見据え、その左膝を正確に撃ち抜く。
ルルーシュは低い呻き声を上げて片膝をついた。
片腕を庇い膝をついた姿は、図らず臣下の礼をとる形となり、ルルーシュは屈辱に顔を歪める。
スザクはゆっくりとルルーシュの元へ歩み寄ると、手にしていた銃をホルダーに収め、腰元の長剣をゆっくりと引き抜いた。
装飾の施された騎士の剣を、ルルーシュの首に添える。
跪いた皇子の白い首筋に真紅の血がうっすらと滲んだ。
「ゼロ、貴様は自分の目的の為に多くの人間を殺した」
スザクはルルーシュを見下し、表情の読みとれない淡々とした口調でその罪を暴く。
「ユフィも・・・ユーフェミア皇女殿下でさえも・・・彼女は純粋にみんなの幸せを願っていたのに!」
憎しみに彩られた瞳を直視できず、ルルーシュが項垂れた。
うわごとのような呟きがその口から漏れる。
「・・・・・・許してくれ、スザク」
「許してくれ、だと?」
スザクが嘲笑の形に口元を歪めた。
ルルーシュは俯いたまま、呻くように声を絞り出す。
「・・・仕方なかったんだ・・・あのときは、ああするしか・・・」
「仕方なかった、だと?」
スザクが侮蔑の表情を浮かべて、つたない弁明の言葉を繰り返した。
ルルーシュの肩が小さく震える。
「・・・貴様の罪が許されることはない、たとえどんな理由があろうとも」
剣で切り捨てるより鋭く、スザクはルルーシュを断罪した。
ルルーシュが怯えたようにスザクを見上げる。
悔恨と諦観で濁った紫紺の瞳がスザクの憤怒に歪んだ顔を映し出した。
瞳の中に映った自分にスザクはふと眉をしかめる。
それはよく見知った、どこか懐かしい顔・・・スザクの夢によく現れる、父親の臨終の顔によく似ていた。

――――どんな理由があっても許されない、罪。

瞬間、スザクの目が恐怖に開かれる。
「ち、ちが・・・う、僕は違う・・・・・・おれは、俺はみんなの為に、みんなを守る為に・・・!」
スザクはぎこちなく首を横に振ると、ルルーシュに突きつけた剣を取り落とし、その手で顔を覆った。
ルルーシュは深翠の瞳に混沌が滲む様子を目の当たりにし、ただ愕然とそれを見守る。
「・・・好きで殺したんじゃない、仕方なかったんだ・・・ああするより他に、ルルーシュも・・・ナナリーも・・・」
清廉たる白の騎士は震えながら黒き反逆者の前に崩れ落ちた。
「・・・・・・許してくれ・・・父さん・・・どうか・・・」
「スザク・・・!」
ルルーシュは傷ついた身体を引きずると、血に汚れたその手でスザクを護るように抱きかかえる。
彼の信じた少女を殺し、信念に厚く純粋だったスザクを復讐と怨嗟の渦に引きずりこんだのは『ゼロ』という反逆者だった。
ルルーシュは救いを求めるように宙を仰ぐ。
『ゼロ』の求めた物はなんだったのか。
身体の不自由な少女と、心を許しあえる友人と、屈託なく笑いあえる日々が欲しかった、ただそれだけだったはずだ。
癒されぬ傷を負い、庇い合うように寄り添う二人に、罪が重くのしかかる。
もう二度と取り返しのつかない、人を殺めたという事実。
絶望の闇が二人の世界を覆った。


「赦そう」


強く、重厚な声が広間に低く響いた。
「私が、おまえたちを赦そう」
玉座から静かに立ち上がり、ブリタニア皇帝は罪人を見下ろす。
玉座は燐光を増し、燦然と輝いて罪の恐怖に慄く二人の目を焼いた。
「生物は、生きるために喰らわねばならぬ」
皇帝は一段一段、ゆっくりと歩を踏みしめるようにして、玉座の前の階段を下りていく。
「種を残し命を繋げるため、弱き者を喰らい、生き延びねばならぬ」
深い慈悲を湛えた眼差しで二人を見据えながら、皇帝は言葉を紡いだ。
その声は低く静かな旋律となって広間に響き渡る。
「おまえたちは生きる為に殺した。弱肉強食は自然の摂理だ――――おまえたちがしたことを誰が責められようか」
皇帝は玉座を降りると、寄り添って震える二人の前に佇んだ。
「さあ、我が子らよ」
口元に穏やかな笑みを湛え、威厳と共に無骨なその手を差し伸べる。
「父の元に還れ」
二人は縋るように王の手を取り、その甲に口づけると、恭謙な面持ちで声をそろえた。


「「 Yes, your Majesty 」」



07-06-25/thorn
07-06-30(revised)/thorn