N e v e r  D r e a m e d




・・・はじめにオーブンは180℃に温めておく。ボウルに卵を割り入れて、砂糖を加えて湯煎にかけながらしっかりと泡立てる。生地に跡がつくようになったら、ふるっておいた薄力粉とココアを加え、ヘラでさっくりと混ぜる。最期に溶かしバターを加えて、型に流し込む・・・。

頭の中で正確に手順を繰り返しながら、ルルーシュはクラブハウスのキッチンで忙しく立ち働いていた。戸棚から材料を取り出すと、きっちりと分量を計り、テーブルの上に並べていく。最初にきちんと準備を整えておけば途中で無駄な時間を食う事もなく、効率的に調理が出来るというものだ。整然と並んだ材料と調理用具を確認すると、ルルーシュは壁にかかった時計に目を移す。時刻は午後2時5分前。手早く材料を混ぜ合わせながら、ルルーシュはこれからの予定について綿密に計画を巡らせた。

・・・中等部の午後の授業が終わるのが2時30分、買い物に出ている咲世子さんがそのままナナリーを迎えに行ってくれるから問題はない。中等部からクラブハウスまでは5分程度の距離だから、車椅子であることを考えても2時45分までには帰ってくるだろう。さらに今日はスザクとも約束を取り付けてある。『仕事』が早くに終わると言う話だったから、久々に三人揃ってゆっくりお茶ができるはずだ。それまでに全ての用意を整えておかねばならない。
まずは先日スザクに約束したシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを作る。ナナリーのためにキルシュ酒は程々、スザクのために甘さは控えめにすることが調理における重要なポイントだ。紅茶は癖のないアッサム、それから温めたミルクを用意するとしよう。
本日午後の天気は快晴、気温は17度、無風。よってテーブルセッティングは室内よりもオープンテラスが望ましい。ケーキの焼成時間、デコレーション、ティーセットの準備等、全ての作業に要する時間を計算すると、3時には確実にお茶会の開始が可能である。
――――よし、計画は完璧だ!

せわしなく考えながらもルルーシュの手は止まらず、あっという間にココア色のスポンジ生地ができあがる。ゆっくりと生地を型に流し込み、温めていたオーブンに収めたころで玄関ホールの方から聞き慣れた声が響いた。
「こんにちは!ルルーシュ、ナナリー」
「ああスザクか、俺はこっちにいるから」
予想外に早い来訪に驚きつつ、ルルーシュが声を上げる。
間もなく、勝手知ったるといった様子でスザクがキッチンに姿を現した。
「お疲れ。ずいぶん早かったな」
両手からミトンを外しながらルルーシュが振り返る。
「うん、友達のうちでお茶に呼ばれてるって言ったら、今日は早めに帰してもらえたんだ・・・あれ、ナナリーは?」
「まだ授業だ。もうすぐ終わるはずだから、帰ってきたらお茶にしよう」
「うん!ところでルルーシュ、何を作ってるの?」
子供のような笑顔で頷くと、スザクはルルーシュの手元を覗き込んだ。
「ああ、今ケーキを焼いているところだ・・・前に言ったろ、シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ、作ってやるって」
「本当!?覚えていてくれたんだ・・・ねえ、僕も何か手伝う事ないかな?」
軍服のジャケットを脱いで椅子の背に掛けると、スザクはシャツを腕までまくってキッチンに立つ。
「そうだな、じゃあクリームを泡立ててもらおうか」
ルルーシュはボウルに生クリームを注ぐと、砂糖と少量のキルシュ酒を加えて手渡した。受け取ったスザクがボウルから立ち上る芳香に目を細める。
「いい香りがする」
「キルシュを加えると口当たりが爽やかになるし、風味が増すんだ」
「そうなんだ、出来上がりが楽しみだね」
スザクはキッチンに置いてあった泡立て器を手に取ると、軽快な音を立ててクリームを泡立て始めた。ルルーシュはコンロに向き直ると、ホーローの鍋を火にかけ、コーンスターチと砂糖を煮立てる。サワーチェリーを加えると、甘い香りがキッチンに漂った。
「そろそろいいかな」
鍋を火から下ろして傍らを見れば、スザクが意外にも器用な手つきで生クリームを泡立てている。見つめる視線に気がついて、スザクが泡立て器をかき回す手を止めた。
「どうしたの、ルルーシュ」
「いや・・・おまえとこんな事をする日が来るなんて、夢にも思わなかったから」
「そう?」
感慨深そうなルルーシュに、スザクが首を傾げる。
「おまえ、昔は俺の料理を邪魔してばっかりだったもんな。せっかく作った料理もひっくり返すし、」
「えっ・・・ち、違うよ!あれは弾みで・・・!」
わざとらしく肩を落とすルルーシュに、スザクが焦った様子で泡立て器を振り上げる。固まりかけのゆるいクリームがステンレスのキッチンに飛び散った。
「バカ、クリームが飛ぶだろうが!」
「うわ!ご、ごめん・・・」
がっくりと項垂れたスザクに向かって、ルルーシュが雑巾でクリームを拭き取りながら小さく笑う。
「嘘だよ、ちゃんと覚えてるって」
「酷いな、ルルーシュ」
苦笑して肩をすくめるスザクを前に、忘れるはずがない、とルルーシュは胸の内で呟いた。

・・・7年前、来日したばかりのルルーシュは疑心暗鬼の塊だった。母親を目の前で殺され、父親に見捨てられた上、敵対国に人質として送られたのだ。自分と妹以外、信用できるものなど何一つあるはずがない。
ルルーシュは枢木家の援助を一切断り、食べ物や身の回りの品など、今まで身につけていた洋服や僅かな宝飾品を売って手に入れていた。幼い兄妹が費やす生活費は微々たるものだったが、段々と貯えも底が見えてくる。どうにかナナリーの食事はまかなっていたものの、とても自分の分にまわす余裕はない・・・断食を重ね、日に日に痩せていくルルーシュの様子を見かねて、スザクは何度も枢木家が用意した食事を受け入れるように説得した。しかし、ルルーシュは頑として首を縦に振らない。相手を思って忠告はやがて言い争いになり、しまいには二人で取っ組み合いのケンカをして、せっかくナナリーの為に作った料理をひっくり返したのだった。
――――うちで出す物に、毒なんか入ってるもんか!そんな卑怯な事するわけないだろ・・・疑うんなら、俺のを食べろ!

「あの時、おまえは自分の夕食を持ってきてくれたんだよな。俺が受け取ろうとしたらスザクのお腹が鳴って・・・」
「ルルーシュ、何でそんな所ばっかり覚えてるの!?仕方ないだろ、だって道場の帰りだったし、好物のハンバーグだったんだから・・・」
しみじみと語れば、低く唸りながらスザクがぶちぶちと言い募る。ルルーシュが堪えきれずに吹き出し、膨れていたスザクも一緒に笑い出した。
「結局、三人で仲良く分けて食べたんだよね」
「ああ、お腹一杯にはならなかったけど、すごく美味しかった」
「おやつもよく三等分して食べたっけ」
「金つばと最中でケンカした事もあったよな」
「ええっ、そんな事あったっけ!?」
「あれも結局、おまえが暴れて皿をひっくり返したんじゃないか」
「ちょっ・・・だからどうしてそんな事ばっかり覚えてるんだよ!?」
「食べ物の恨みは恐ろしいんだ!」
「勘弁してよ、もう」
真面目な顔できっぱりと言い切ったルルーシュに、スザクが笑い転げる。ルルーシュは微笑みを浮かべて、屈託のない親友の笑顔を眺めた。
本当は、楽しかった事よりも辛い事の方が多かった、あの頃・・・こんな風に二人で笑いながら語り合う日が来るなんて、夢にも思っていなかった――――
「あ、クリームはもうこれくらいでいいかな?」
ようやく笑いを収めると、泡立て器を持ち上げつつ、スザクが尋ねた。ルルーシュが我に返ってボウルを覗き込む。
「ああ、それでいい。十分だ」
「・・・ねえこれ、味見していい?」
ルルーシュが答える間もなく、スザクはクリームを指ですくって自分の口に入れた。
「うん、美味しい!」
「・・・おまえは昔から変わらないな。相変わらず子供なんだから」
嬉しそうに叫ぶスザクに、ルルーシュが呆れた顔でミトンを両手にはめる。ケーキの焼け具合を確かめる時間なのだ。その瞬間、深翠色の瞳が悪戯っぽく輝いた。
「ねえ、ルルーシュも味見してみてよ」
スザクは再び人差し指でクリームをすくい取ると、ルルーシュの目の前に指を突きだした。
「え?」
「手袋はめちゃったから、自分の指ですくえないでしょ?だから、ほら」
味見を迫るスザクに、ルルーシュの頬が薄く染まる。人の指を舐めるなど、はしたない行為ではないだろうか。戸惑うルルーシュの様子に、不思議そうな顔でスザクが首を傾げた。
「どうしたの、美味しいよ?」
幼い頃と変わらない、無邪気な笑顔がルルーシュを覗き込む。その表情にルルーシュは内心で自分の自意識過剰を恥じた。相手は気心の知れた幼なじみだ。変な意識を持つ方がおかしいに決まっている。つまらない葛藤を捨てて、ルルーシュは舌先でスザクの指からクリームを舐め取った。途端にほどよい甘さと微かなリキュールの香りが口の中いっぱいに広がる。
「うん、完璧だな!」
自らの舌に確かめるように、ルルーシュは目を閉じて二度三度と頷いた。スザクが笑みを深めて、じわりと間合いを詰める。
「ああ、ルルーシュ、」
なんだ、と答えるより先にスザクの指がルルーシュの顎を捉えた。そのまま顔が近づき、薄く開いた唇を割って熱く湿った何かが――――
「・・・へ?」
いつも思慮深く、鋭い光を放つ紫の瞳を見開いて、呆然とルルーシュが呟く。
「味見、大人の」
普段と全く変わらない態度でスザクが言い放った。
「ねえ、今日は泊まっていってもいいかな?」
「・・・ああ、うん・・・別に構わないけど・・・」
「じゃあ昔出来なかった、『子供じゃできない事』、しようか」
耳元で熱く囁かれる声に押されて、思わずルルーシュがこくりと頷く。そのとき玄関ホールの方から、可愛らしい少女の声が響いた。
「お兄様、ただいま帰りました」
「あっナナリー、おかえり!・・・あとは手伝う事、ないかな?」
「・・・ああ・・・」
「じゃあ向こうでナナリーと一緒に待ってるよ」
満足そうに頷くと、スザクはそう言い置いて、ルルーシュにあっさりと背を向けた。足音が遠ざかり、ほどなくして玄関ホールの方で明るい笑い声が聞こえてくる。
「・・・・・・いま・・・なに・・・?」
遠くから漏れ聞こえてくる楽しげな声を聞きながら、ルルーシュはキッチンで一人呟いた。のろのろと両手のミトンを外し、自分の指先でそっと口元に触れる。冷たい手の温度に、さっきの感触がまざまざと蘇ってくる。
未だに唇に残ってくすぶる、熱い、舌の――――
「な・・・っ!」
何をされたかやっと自覚して、ルルーシュはその場にうずくまった。キッチンには他に誰もいないが、あまりの恥ずかしさに顔が上げられない。
「なんなんだ、あいつは・・・!」
もうすぐナナリーもここにやってくる。どうにか落ち着こうと床の木目を数えつつ、ルルーシュはがっくりと項垂れて深く溜息をついた。
・・・夢にも思わなかった、あいつとこんな事をする日がくるなんて。

真っ赤な顔で唸るルルーシュの頭上から、ケーキの焼き上がりを知らせるタイマーの音が響きわたった。



09-03-15/thorn